日本シェイクスピア協会会報

Shakespeare News

VOL. XXXIX No. 2
November 1999

学会を終えて
喜志 哲雄

学 会 報 告

講演(要旨)──シェイクスピアと「語り」
安西 徹雄

研究発表(要旨)

セミナー(要旨)

 

学会を終えて
喜志 哲雄

今年のシェイクスピア学会は予定通り10 月23、24 両日、岩手大学教育学部で開かれましたが、私にとってはこれは極めて楽しい思い出となりました。担当委員によると、学会には250 人ほどの会員が出席しておられたとのことです。現在、日本シェイクスピア協会の個人会員は820 人あまりですから、随分たくさんの会員が出席されたと言えるでしょう。私は盛岡は初めてでしたが、文字通り風光明媚なすばらしい土地で、しかも好天に恵まれましたから、学会よりも観光に精を出される会員が大勢現れるのではないかと、ひそかに心配しておりました。しかし最後まで盛況だったのは、喜ばしいことです。

学会の成功は、第一に、望月善次学部長、星野勝利教授、境野直樹助教授を始めとする岩手大学教育学部の先生方、また、全般にわたって面倒な仕事をこなして下さった教育学部学生の皆さんのおかげです。この紙面を借りて厚くお礼申上げます。ことに境野さんは、一体いつお休みになるのだろうと心配になるほど、早朝から深夜まで会場にいて、気を配って下さいました。私どもの願いを容れてこの号にお寄せ下さった文章の中では、「小さな失態」が多かったと書いておられますが、もちろんこれが謙遜以外の何ものでもないことは、出席された会員ならお分りになるに違いありません。

次に、学会のプログラムを充実したものにして下さった会員の皆さんにお礼申上げます。講演をして下さった安西徹雄さんは私の四十年来の親友ですが、すぐれた学者・演出家であるだけでなく、名優でもあることを披露して下さったのは、大きな収穫でした。アンケートの回答から察すると、講演は会員の皆さんにも喜んで頂けたようです。研究発表やセミナーは同時にいくつも行われましたから、すべてに出席することはできませんでしたが、私が聴いた限りでは、ことごとく刺激的で充実したものでした。私が出席できなかった研究発表やセミナーについても、面白かったという感想を聞いておりますし、アンケートの回答を見ても実際にその通りだったように思われます。

こういうわけで、万事めでたしめでたし、学会のあり方には何も問題はないということになりそうですが、実は決してそうではありません。まず、研究発表がもっとたくさんあってもいい筈です。せっかく4室用意したのですから、合計16 件の発表が組めたのに、実際には14 件しかありませんでした。学会担当委員から聞いた数字を敢えて公表しますが、研究発表の応募は慫慂に応じた分を含めて全部で20 件しかなかったそうです。いささか淋しい思いがします。しかもこの20 件のうち、いわゆる若手(講師、助手、大学院学生)の応募は僅か3件にすぎなかったということです。いくら何でもこれは少なすぎます。ある会員はアンケートに答えて、若手の研究発表が少ないのではないかと述べておられますが、そういう御感想が出るについては、こうした実情があるのです。結果として、研究発表者の平均年齢が少し高くなりすぎました。そして、高年齢の研究発表者の中には、当然のこととして、慫慂に応じて下さった会員が何人か含まれています。この点についても批判的な意見をおもちで、慫慂は一切やめて公募だけでプログラムを組むべきだというお考えの会員が、おられるに違いありません。公募だけでプログラムを組めるならこんな楽なことはないのですが、私どものような中規模の学会では、これはあまり現実的な考え方ではありません。ある程度の学問的水準を維持するためには、慫慂というやり方を捨てるわけには参りません。それに、今年の学会の場合、少なくとも更に2件の研究発表を組む余裕があったのですから、慫慂分が多すぎて公募分が圧迫されているのではないかという、時に耳にする御心配には、全く根拠がないことが分ります。

私は要するに、もっと研究発表があるべきだ、そうなるためには特に若手の会員がもっと研究発表に応募すべきだと、言っているのです。それでは、なぜもっと大勢の若い会員が、積極的に研究発表をしようとされないのでしょうか。この問題について真剣に考えて頂くために、御批判を受けるのを承知で率直に申しますが、この現象は学会のプログラムの中でセミナーが重要な位置を占めるようになったことと関係があるのではないかと、私は想像しております。

学会のプログラムにセミナーが組込まれた結果、単なる聴衆としてでなく、もっと積極的なかたちで学会に出席される会員の数(端的に言うと、プログラムにお名前が掲載される会員の数)は、飛躍的に増えました。学会というものは、できるだけ多くの会員が活動に参加できるかたちになっていなければなりませんから、これ自体は非常に好ましいことであったと思います。しかし、セミナーに参加し、そこで研究成果を披露しようとされる個々の会員のすべてに、単独の研究発表の場合には当然覚悟しなければならない厳しい審査や激しい批判に堪える用意があったかというと、私は疑問だと思います。多くのセミナーで高い水準の意見の交換がなされていることを、私は知らないわけではありませんが、同時に、セミナーが同じ問題について関心をもつ者同士の、馴合いの場になりかねないことを、私どもは常に警戒していなければなりません。私は学会のプログラムとしてセミナーよりも研究発表の方が格が上だなどと言っているのではありません。プログラムが多様なものであるのは大事なことです。ただ、協会のセミナーだけではなくて、さまざまな国際学会のセミナーにも参加した経験に照らすと、セミナーのペイパーの平均的な質は、単独の研究発表の平均的な質ほど高くないのが事実です。これは素直に認めざるをえません。今回のプログラムを見る と、セミナー参加者の中には、いわゆる若手が随分おられることが分り、心強い思いがします。積極的なかたちで学会に参加する気のある若手は現に何人もおられるのです。こういう会員の皆さんに向って私は言いたいのです――「どうかセミナーだけではなくて、ひとりの会員が孤立無援で大勢の聴衆を前にして行う研究発表にも挑んでみて下さい」と。そして年齢を問わず会員の皆さんに、セミナーのあり方を含めて学会の今後について、原点に立ち帰って考えてみてほしいのです。この点について活発な議論がなされるのを、私は心から楽しみにしております。

もうひとつ、またもや差障りのあることを敢えて申します。次号の「シェイクスピア・スタディズ」はおそらくこの「ニューズ」と前後してお手元に届くと思いますが、この号には2篇の論文が収録されているだけです。そのうちのひとつは本年4月のシェイクスピア祭で講演をして下さったジュリエット・デュシンベリ博士によるものです。つまり、会員の論文は僅か1篇ということになりますが、この1篇の筆者はアメリカ在住の会員です。外国在住だからいけないという気は毛頭ありませんが、やはり協会のさまざまの活動に自由に参加できる場所におられる会員から論文がもっと提出されないのは、淋しいことです。せっかく協会に籍をおいておられるのなら、ぜひ何年かに一度は研究成果を英文でまとめて下さい。学会冒頭の挨拶でも申しましたが、協会の会費は、「ニューズ」や「スタディズ」のような刊行物を受取る権利だけでなく、こうした刊行物や学会で自らの研究成果を発表する権利の対価でもあるのです。こういう権利を充分に行使しないのは、もったいないことです。差当って、今年のセミナーや研究発表ですばらしい成果を披露された会員の方々が、それを英文にして「スタディズ」のために投稿して下さることを期待しております。

来年度の行事の予定は、学会の最初に金子事務局長から披露されましたし、この冊子にも掲載されておりますから、反復は避けますが、シェイクスピア祭については行事担当委員の御尽力によって非常に充実したプログラムが組めたと自負しております。また、来年秋の学会についても、期日と開催校は既に決定しております。次の学会の研究発表やセミナーのテーマを募集する文書は、既にお手元に届いている筈です。ふるって応募して下さることを念願致します。この文章をお読み頂く頃には、今年も残り少なになっていることでしょう。2000 年が会員の皆さんにとって充実したものになることを祈っております。


第38 回シェイクスピア学会報告
1999 年10 月23 日(土)・24 日(日)
会場:岩手大学教育学部



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講演(要旨)

シェイクスピアと「語り」──演出の経験を手がかりとして──
安西 徹雄

安西

すでに四半世紀、演出活動を続けながら考えてきた問題を、二つのテーマを軸にお話ししたい。第一はシェイクスピアと「語り」、そして第二に、シェイクスピアと日本の演劇伝統との類縁性という問題である。

最初に演出したのは『ペリクリーズ』(1976 年)だが、この作品を選んだ理由は、シェイクスピアの最も古い地層を示し、中世末の聖史劇やロマンス劇からエリザベス朝劇の誕生してきた過程を、作品自体の中に再現していると思えたこと、同時にまたこのプロセスは、中世の語り物から浄瑠璃の誕生した過程と、基本的に照応しているのではないかと思ったからである。

実際に演出してみて痛感したのは、物語の枠組にたいする個々の場面の関係が、前半と後半では質的に変化しているという事実だった。前半は、プロットを前へ前へと進めることに専心し、個々の場面は単なる通過点でしかない傾向が強いのにたいして、後半では場面の独立性が著しく増し、それ自体小さなドラマの態をなしてくる(“brothel scene” などはその典型例)。こうして結局、全体を繋ぎあわせるガワーの「語り」を枠組として、その内側に個々の場面が、大きくふくらんだループ状に止めつけられるという構成が形作られることになる。

次の演出作品は『まちがいつづき』(1980 年)だったが、後期の『ペリクリーズ』から一転、最初期のこの作品に飛び移った理由は、第一に、もし『ペリクリーズ』がシェイクスピアの最古層を示し、彼が劇作家として根をおろしている土壌を表わしているとすれば、『まちがいつづき』は、そこから次に踏み出した最初の一歩に当たると考えたこと、そして第二に、『まちがいつづき』の枠組の物語が、『ペリクリーズ』と同じ材源(ガワーの『愛する者の告白』中の、テュロスのアポロニアスの物語)だということだった。

それというのも、プラウトゥスとガワーという、二つの異質の材源を組合わせる方法は、先程述べた構成法をさらに一歩展開し、ガワーの「語り」の枠組の内側に、プラウトゥスの双子の取違えのファルスを、一個の巨大なループとして止めつけたものと見ることができるからである。

こうした構成法上の進化のパターンは、巨視的に見れば、エリザベス朝劇の成立に到る歴史的展開にも認められるように思われる。まず聖史劇では、聖書という公的な物語を枠とし、その中のエピソードが個々の場面としてループを形作り、それが次第に成長し、連鎖して、ついに長大なサイクル劇が完成するが、このプロセスでループを成長させる原動力となったのは、全体をまとめる公(おおやけ) の枠にたいして、個々の場面が何らかの意味で私的な、かつ、しばしば虚構の世界をなしていること(例えば、ウェイクフィールドの「第二の羊飼い劇」)、ないしは大きな情緒的チャージを帯び、強い感情移入をうながす情況であること(例えばヨークの受難劇)ではなかったかと考えられる。

この、公式の歴史(物語)の枠の内側に、私的な虚構のドラマを止めつけるという手法は、その後もひろく利用され、ひとつの定型をなすに到り、シェイクスピア劇そのものでも、しばしば用いられることになる。例えば、『夏の夜の夢』(公=シーシアスとヒポリタの結婚 vs. 私=恋人たちや職人たちの虚構のドラマ)、『ヘンリー四世』(公=治世の正史 vs. 私=フォルスタッフたちの私的な世界)、さらには悲劇においてもまた、例えば『シーザー』にしろ『マクベス』にしろ、プルタークやホリンシェッドから借りた歴史は枠組にすぎず、劇の本体は、独白に端的に表われる個人の内面の世界であり、夫と妻、あるいは友人との私的な関係であり、あるいはブルータスやアントニーの演説のように、私的、人間的に強い感情移入を要求する情況なのである。

ところで、日本の演劇的伝統との類縁性という点から見て特に興味深いのは、渡辺保氏の指摘に従うなら、この同じ構成法が、実は浄瑠璃や歌舞伎(なかんずく時代物)にもまた、ひろく認められるという事実である。というのも、「歴史の公的な事実の陰に隠された、私的で、人の心の赤裸々に示される時間こそ本当のドラマであり、浄瑠璃も歌舞伎も、常に歴史の裏側の、こうした秘話を書くことを本質としてきた」からだ(『歌舞伎──過剰なる記号の森』、pp. 348-49)。これはまさしく、今までエリザベス朝劇について見てきた基本的な構成法そのままではないか。

さて、以上はすべて、枠組としての「語り」にかかわる問題だったが、「語り」にはもうひとつ、劇中に現われる「語り」という側面がある。そして『まちがいつづき』は、この面でも重要な問題をはらんでいた。冒頭、イジーオンの語る、100 行を越える独り語りを、演出上、どう処理するかという問題である。

中でも最大の難題は、翻訳上、いかにして十分に説得力のある言葉を掘り起こすかだった。そのためのひとつの方法として、私は日本の語り物、特に説経節(なかんずく「さんせう大夫」)の文体の援用を試みた。直接に模倣を試みたのではない。「語り」の背後にある特有の身体感覚──言葉と身体との共振現象を探り当てようとしたのである。

けれども劇中の「語り」について、問題の所在と性質とを明確に理解しはじめたのは、『リア王』(1985 年)──中でも特に4幕1場、盲目となったグロスターが、昨夜の嵐以来のみずからの経験を振り返り、「いたずら小僧が、ただ戯れにセミやトンボを殺すように、神々は、わしら人間をおもちゃになさる」と、悲劇的な洞察に達するせりふだった(33 −38 行)。

この短い「語り」の稽古にあたって念頭にあったのは、シェイクスピア悲劇の幕切れにしばしば現われる、主人公(ないしその分身に当たる人物)が、これまで劇中で展開されてきたさまざまの事件を総括し、その深層の意味を結晶として析出して、観客の劇経験をconsummation に導く「語り」(例えば『オセロウ』の幕切れ)、そして第二に、浄瑠璃や歌舞伎の一場の終わりに現われる主人公の「述懐」の「語り」(例えば「寺子屋」の松王や、「熊谷陣屋」の熊谷の「述懐」)で、この種の「語り」もまた、これまでの事件の深層の意味を明らかにし、主人公が新しい自己認識に達するという意味で、シェイクスピアの幕切れの「語り」と照応していると同時に、劇中のアクションの展開上、重要な結節点にあたって発せられるグロスターの「語り」とも、深いレヴェルにおいて同じ構造をそなえ、同様の機能を果たし、同質の劇的効果を上げていると見ることができよう。

それにしても、こうした内省、洞察の「語り」が、演劇的に強いインパクトを発揮することをどう説明すればよいのか。西欧の伝統的な演劇論では、芸術上の表現が「劇的」であるためには、第一に人間の行動を描くものであること、第二にその行動は、たがいに相容れない世界観の対立、葛藤をはらむものでなくてはならない。しかし今もいう内省の「語り」は、そもそも「語り」であって行動ではなく、しかもその「語り」は、みずからの過去の経験についての内省であって、他者との対立、葛藤を物語るものですらない。もしここに何らかの対立があるとすれば、それは語り手自身のうちに内在する現在と過去との落差であり、もし何らかの「劇的」な出来事が起こっているとすれば、それはこの、古い自己と新しい自己とのギャップが一挙に乗り越えられ、精神上のショートが生じて火花が散り、語り手が悲劇的な自己認識に達するということのほかにはない。

もしこのように考えることができるとすれば、「語り」と「劇」とは必ずしも、よく言われるように対極をなすものではなく、主人公の内面への対立の内在化という契機を介して、たがいに連続し、重なり合うものであると見ることもできるのではないか。 さて、いやしくもシェイクスピアと「語り」を論ずる以上、次に演出した『冬物語』(1986 年)は、実に多数、かつ多彩な「語り」をふくみ、さながら、シェイクスピアの「語り」を集大成した観のある作品で、当然触れなくてはならないが、別の機会にかなりくわしく論じたことがあるので、肝心な一点だけを述べて今日の結論に代えたい。

坂部恵教授は『かたり』という書物の中で、「話す」や「告げる、宣(の)る」と対比しながら、「語る」という言語行為の本質を分析し、「語る」とは、日常的現実を超えた、何らかの意味で異次元に属する世界と、日常的現実とを繋ぐ発話行為であると規定し、そして「語り手」とは、何らかの意味で超越的な存在の依代(よりしろ)となり、異次元の言葉を人に宣べ、告げる者であると定義している。

もし、「語り」や「語り手」の本質をこのように捉えることができるとすれば、これは実は、そのまま劇自体や俳優の本質にほかならぬことに思い当たらざるをえない。というのも、劇が上演される時、現実にはどこにも存在するはずのない虚構の世界が、劇場という現実の時空の只中に存在しはじめ、日常的経験世界の只中に異次元世界が今、現に侵入し、占有(possess)しはじめるからである。そして、この二つの、それぞれ別の次元に属する世界の交錯を身をもって媒介し、みずからの精神と肉体のうちに成立させる者こそ、まさしく俳優という存在であり、彼はこの時、現実の生身の人間でありながら、非有の世界を現実に生きる者となる。つまり彼は「語り手」同様、現実を超えた異次元世界の依り憑く(possess)依代となるのである。

このような観点を導入する時、「劇」と「語り」との関係について、新しい見方が開けてくる。「劇」と「語り」は、すでに触れたとおり、対極の関係にあるのではなく、むしろたがいに連続し、たがいに同根であり、相同の関係にあると考えることができるのではないだろうか。 最後に、日本の演劇伝統との関連に戻って付け加えておきたい。「語り」以外にも、シェイクスピアと日本の伝統演劇との間には、意外な照応が少なくない。基本的な境界線は、東西の間ではなく、近代以前と以後の間にあるからで、近代以前の劇の形が、今も脈々と生き続けている日本の視座からすれば、欧米では見えにくいシェイクスピアの側面が見えてくることもありうる。そこから逆に、日本の伝統演劇についても、新しい視界が開けることもありうるのではないだろうか。

(上智大学教授)


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