日本シェイクスピア協会会報

Shakespeare News

VOL. XXXIX No. 3
March 2000

何 処 へ
喜志 哲雄

昨年12 月28 日に中島文雄先生が逝去されました。先生は戦後に再発足した日本シェイクスピア協会の初代会長をお務めになった方です。この号には、会長経験者の高橋康也、玉泉八州男両氏に、先生を偲ぶ文を寄せて頂きましたが、高橋さんがふれておられる先生と国際学会とのつながりは、私自身にとっても忘れ難いものです。

1971 年8 月にヴァンクーヴァーで開かれ た世界シェイクスピア会議 (World Shakespeare Congress) の閉会式で中島先生は挨 拶をされたのですが、それは挨拶というより むしろ堂々たる講演でした。日本におけるシ ェイクスピア受容のあり方が国際学会で系 統的に紹介されたのは、あるいはあれが最初 であったかも知れません。この世界シェイク スピア会議が母体となって国際シェイクス ピア学会 (International Shakespeare Association) が結成され、1991 年の大会が 東京で開かれましたが、その時に中島先生が 誰もが驚くような多額の寄付をして下さっ たことも、高橋さんが書いておられる通りで す。日本シェイクスピア協会が国際的に認知 されたのは、1991 年の学会のお世話をした ことによると言っても言いすぎではありま せんから、私どもの活動の国際化は、中島先 生のような偉大な先人の多年の御尽力によ って可能となったのだと言えるでしょう。学 恩という言葉が思い浮びます。

次に、学会のプログラムを充実したものにして下さった会員の皆さんにお礼申上げます。講演をして下さった安西徹雄さんは私の四十年来の親友ですが、すぐれた学者・演出家であるだけでなく、名優でもあることを披露して下さったのは、大きな収穫でした。アンケートの回答から察すると、講演は会員の皆さんにも喜んで頂けたようです。研究発表やセミナーは同時にいくつも行われましたから、すべてに出席することはできませんでしたが、私が聴いた限りでは、ことごとく刺激的で充実したものでした。私が出席できなかった研究発表やセミナーについても、面白かったという感想を聞いておりますし、アンケートの回答を見ても実際にその通りだったように思われます。

このことを認めた上で少し余計なことを 申しますが、実は私は《国際化》という言葉 があまり好きではありません。学問が国際的 な場でなされるのは当り前です。ことに私ど もは外国の文化を研究しているのですから、 自分の国だけに閉じこもって活動するのは 不健全で異常なあり方です。だから私は、世 間で《国際化》と呼ばれる現象を学問の場合 には《正常化》という言葉で呼びたいのです が、それならその《国際化》なり《正常化》 なりは果して申し分なく進んでいるかとい うと、私はまだまだ不充分だと思います。こ の号に柴田稔彦さんが書いて下さった文章の中の言葉を借用するなら、「蛸壺」的態度 が今なお認められると言わざるをえません。 つまり、外国の批評動向を採入れるばかりで、 こちらからはあまり何も送り出さないので す。

その上、新しい研究や批評の方法を採入れ る場合に、充分な吟味がなされているかとい うと、これまた疑問だと思います。ある方法 が歴史的、文化的にどんな位置を占めている のか、それが自分とどんなつながりがあるの かといった問題を多角的に検討することな しに、その方法を採用することはありえない と、私は思いますが、私どもはこの点に関し て少し呑気で楽天的すぎるのではないかと いう気がするのです。

それで思い出しましたが、『ロンドン・リ ヴュー・オヴ・ブックス』の昨年12 月9 日 の号に、フランク・カーモード氏の “Writing about Shakespeare” という非常に面白い長 文のエッセイが掲載されていました(このエ ッセイに最初に私の注意を向けて下さった のは、高田康成さんです。高田さんに感謝し ます)。エッセイの大部分は近く出版される シェイクスピアの言葉についての著書の紹 介ですが、冒頭でカーモード氏は、シェイク スピアを論じるふりをしながら、実は目下も てはやされている関心事について論じると いう最近の傾向を批判しています。またエッ セイの結びでは、最近の批評が文藝作品の言 葉を無視していることをカーモード氏は嘆 き、このままではシェイクスピアだけでなく あらゆる文学が単なる歴史的文書として扱 われるようになるのではないかと恐れてい ます。

もちろんカーモード氏自身が認めている ように、新しい批評傾向が現れることには然 的な理由があり、また、それは必要なことな のです。私自身は、作品の新しい読みを提示 しくれるものなら、あらゆる新しい方法には 意義があると考えています(たとえば、この 号で安達まみさんが紹介して下さったジェ ンダー論の立場からする『ハムレット』解釈を前にして、私は実に快い興奮を覚えまし た)。しかし、当の作品よりも自分の読みの 方が優先されるなら――あるいは、自分の読 みを示すために作品が利用されるだけなら ――やはりおかしいと言わねばならないで しょう。その意味で、私はカーモード氏に同 感です。ただ、私はカーモード氏ほど心配し てはいません。それは、これまでのありとあ らゆる方法が批判されて来たように、現在も てはやされているさまざまの方法もいずれ は批判され攻撃されるに違いないことを確 信しているからです。

1960 年代から70 年代にかけて、欧米では それまでの劇――端的に言うなら近代リア リズム劇――を否定し、新しい劇のあり方を 探る動きが活溌になりました。日本でも類似 の現象が生じ、「アンダーグラウンド演劇」 を省略した「アングラ」という非常に手軽な 言葉で呼ばれました。その頃の私は今よりも 芝居の現場に深入りしていましたから、「ア ングラ」の雰囲気は肌で知っています。それ は確かに興奮を誘うものでした。しかし、《肉 体の復権》という標語が熱っぽく唱えられ、 分節言語で書かれた戯曲の時代は終ったと 人々が主張するのを聞くと、ちょっと待って くれと言いたくなりました。戯曲というもの には数千年の歴史があるのですから、それが 消えてしまうとは到底考えられない、「アン グラ」には近代リアリズム劇の矛盾を指摘し たという功績があるが、それもまたやがては 乗越えられるに違いない――そう私は感じ ました。そしてもちろんその通りになりまし た。ご存じの会員もおられると思いますが、 日本劇作家協会という団体があり、雑誌を発 行しています。その雑誌の名は『せりふの時 代』というのです。そして、これを編集して いる人たちの中には、かつての「アングラ」 の担い手だった人が何人もいます。非常に象 徴的な事実だと思います。

私は別に自分には先見の明があったなど と自慢しているのではありません。三、四十 年前に私が演劇について感じたことは、少し 歴史を知っていて、少し冷静な人なら、誰でも感じたに違いないことであるからです。同 じことがシェイクスピア研究についても言 える筈なのです。《キャノン》という考え方 は今は非常に評判が悪いのですが、事態は必 ず変ります(私が生きているうちに変る可能 性さえあります)。作品の意味は受け手によ って決るというのは確かにその通りですが、 同時に、作品には固有の価値がある、ある作 品が別の作品よりも価値があることは否定 できないと、私は思います。もちろん、こん なことを言ったら保守反動呼ばわりされる に決っていますが、現在の前衛がいつかは保 守反動扱いされるようになるのを知ってい ると、あまり楽天的に流行を追う気にはなれ ないのです。

晩年の中島文雄先生には、私は全くお目に かかる機会がありませんでしたから、先生が 近年のシェイクスピア研究のあり方をどう 見ておられたのかは、知る由もありません。 ただ、先生の御逝去を知って、私は日本シェ イクスピア協会がこれまでどんな道を歩ん で来たのか、また、これからどこへ向おうと しているのかを、あらためて考えました。

さて、加藤行夫さんと私が編集するように なってから、「シェイクスピア・ニューズ」 をできるだけ多くの会員が参加できるもの にしたいと思い、色々な企画を採入れて来ま したが、そのひとつとして、この号からやや 長めの日本語の論文の掲載を始めます。英文 の論文については「シェイクスピア・スタデ ィズ」がありますが、これまでは会員が邦文 の論文を投稿する場がありませんでした。こ れからは「ニューズ」をそういう場としても 活用したいと思います。但し論文の執筆には かなりの時間が必要ですから、当分の間は慫 慂による論文を掲載します。投稿が紙面を飾 る日が早く来ることを願っております。ふる って御応募下さい。また「ニューズ」はこの 号から「学術刊行物」として認められました。 せいぜい利用して下さることを期待してお ります。

4 月22 日のシェイクスピア祭に大勢の会 員がおいでになることを祈っております。


AFTERTHOUGHT

会長も巻頭でお書きのように、Newsはこ の号から学術刊行物として認可されました。 通常の郵便で一部140 円だった送料が35 円 になります。約100 円の節約は、1,000 部送 って10 万円、年間3 回ですから30 万円の経 費削減につながるわけです。この特権を会員 間の情報交換に大いに利用して、さらに投稿 が増えることを望んでいます。

というわけで、みなさんの原稿を編集する にあたって不可欠な電子メールの件──。混 乱を避けるため事務局のメール・アドレスは 公開していませんので、一般投稿の場合、ま ず原稿は郵便で事務局に届けていただきま すが、依頼原稿の場合も含めて、メール・ア ドレスをお持ちの執筆者と編集担当とのそ の後の連絡はもっぱら電子メールで行なわ れます(メールをお使いでない方からはフロ ッピーを郵送していただくことがあります。 また、音声入力という手段もありますので、 もちろん手書き派の方の投稿も歓迎です)。

そこで、これまでの経験を踏まえて、一般 にメールで原稿を送る場合のワンポイン ト・アドバイスといったことなのですが(メ ールを駆使したセミナーの準備にもお役に 立てると思います)──まず、原稿はいわゆ る「添付ファイル」にしない方が良いでしょ う。「添付ファイル」で送った原稿は、それ を作成したソフトが受信側にもないと読め ませんし、同じソフトでもヴァーションの違 いで問題が起こり、マックとウィンドウズと のあいだで難しいこともあります。複数のメ ンバーからなるメーリング・リストでトラブ ルが起こった話をよく聞きます。つまり、あ くまで一般論として言いますと、相手のコン ピュータ環境を詳しく知らない場合は、「添 付ファイル」は避けた方が無難なのです(ち なみに、このNews はウィンドウズ版の 「Word 2000」で編集していますので、同じ 環境の方は「添付ファイル」をご利用下さい)。

どうしてもという場合は、大事な原稿を送 る前に小さなファイルを添付してテストし てみたらいかがでしょう。でも、もっと確実 な方法としてお勧めするのは、原稿をメール の本文として送ることです。その場合、すべてテキスト・ファイルですから、イタリクス やルビなどの飾り文字が無効になってしま いますので、何らかの記号(イタリクスの代 わりとしてよく使われるのは *Hamlet* や _Hamlet_)を書き入れておく必要がありま す。

そして、メール本文は各行に半角70 字程 度で改行マークが入っていなければなりま せん。これをしないと、長すぎる行は許容範 囲を越えてしまい文字化けするのです。ほと んどのメール・ソフトは自動的に改行するよ うになっていますが、念のためご確認下さい (自分あてに送信してみればわかります)。 受信する編集担当側には、イタリクスなどを 示す仮の記号を元に戻したり、改行マークを 消すという手間が残りますが、どれほど長い 原稿でも検索機能でたやすく置換できます から大丈夫です。

あと、意外な盲点として、コンピュータの クロックが実際の時刻とずれていると、メー ルの発信時刻がわからず、とくに加筆修正な どをお願いして複数のメールが行き来する 場合、往信と返信との順序関係を判別するの に困ることもあります。

最後に蛇足ですが、メール利用者共通のマ ナーとして、メールを受け取りましたら、そ の旨必ず返事を出すようにして下さい。イー サネット(Ethernet)の語源そのままにエー テル(Ether)の彼方へと飛んで行くかに見 える電子メールは、心理的にも、また実際問 題としても、相手に確かに届いたのかどうか、 郵便よりもはるかに不安なのです。(cato)


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