日本シェイクスピア協会会報
Shakespeare News
Vol. 46 No. 2
December 2006
学 会 特 集 号
創立45 周年記念学会を終えて | 楠 明子 |
学 会 特 集
特別講演(要旨) | Kathleen McLuskie |
研究発表(要旨)
「近代」に絡め取られたイアーゴー
サイファーとしての女性という寓話―『オセロー』における身体、ジェンダー、流動性
マルヴォーリオの病
『じゃじゃ馬馴らし』におけるペトルーキオの財産獲得の方法とその意味すること
メアリアムの変奏―『ミラノ公爵』と『メアリアムの悲劇』
『黒の仮面劇』にみる主催者アナの主体性
想像の王権―The Widow Ranter における不在の権威について
Macbeth における魔女の表象
“Ah, Mephistopheles!” ―Gender Reversals in Christopher Marlowe’s Doctor Faustus
セミナー(要旨)
京都セミナー(要旨)
創立45 周年記念学会を終えて楠 明子
地球の温暖化のために例年のような色彩豊かな紅葉の秋を充分に楽しむこともできないまま、今年も残すところわずかとなってしまった。
日本シェイクスピア協会創立45 周年記念のシェイクスピア学会は、10 月8・9 日の連休に美しい自然の只中にある東北学院大学で開催された。開催校の強力なご支援と会員の皆様のご協力、そして委員をはじめとする関係者のご尽力のおかげで、大変稔りの多い学会となった。心より御礼申し上げる。
創立40 周年の際には9・11 テロ事件のために、予定していたコロンビア大学のJean E. Howard 教授の来日が中止されてしまったので、今回は10 年ぶりに海外からゲストをお招きして開く記念学会であった。招聘したShakespeare Institute 所長のKathleen McLuskie 教授は、気さくな、そして体力的に実にタフな方で、滞日中多くの会員と親交を持たれ、誠の意味で国際交流の場としての学会となった。学会後、10 月12 日には同志社大学のご支援の下、同大学の風光明媚な会場でMacbeth に関するセミナーがMcLuskie 教授を迎えて行なわれた。Shakespeare Institute と協会とのおつき合いの歴史は長く、これまで多くの会員が同研究所に留学し、また今後も研究のために赴くことであろう。McLuskie 教授の来日が、今後の会員の研究に役立つことを願っている。
学会では分野の全く異なる刺激的な3 本のセミナーと、さまざまなテーマの興味深い9 本の研究発表が行なわれた。学会に関する詳細は本号掲載の「要旨」をご覧いただきたい。
『45 周年記念論文集』には多数の会員から応募論文を投稿していただいた。査読は完全な覆面方式で、またその他にも「公平」を期するために考えられる限りのあらゆる方法を採り入れて行なわれた。今年度末刊行を目指し、現在編集委員と研究社の編集者が懸命に編集作業に取り組んでくださっている最中である。
11 月10 日には慶應義塾大学文学部英米文学専攻との共催で、ロンドン大学のAnn Thompson 教授の特別講演 "Ed-iting Hamlet: The Nature of the Challenge in 2006" が行なわれた。17 世紀初期に出版されたHamlet の3 つのTexts をそれぞれ独立した作品とみなすと、何が見えてくるのか。今後、世界中のシェイクスピア研究者が議論していく問題であろう。協会会員もぜひこの議論に加わり、21 世紀のシェイクスピア研究に新しい領域を切り開いてほしい。
12 月初めには2006 年度委員選挙の開票が行なわれる。4 月からの委員会の構成メンバーは、半分以上が新委員となる。
さらに今年度末には、新編集体制の下で編集され、装丁も全く新しくなったShakespeare Studies を皆様のお手元にお届けできる予定である。「姿」が新しくなっても、最も大事なのは質の高い論文が掲載されていることである。Shakespeare Studies への皆様のご投稿をお待ちしている。
第45 回 シェイクスピア学会報告
2006 年10 月8 日(日)・9 日(月・祝日)
会 場: 東北学院大学土樋キャンパス
特 別 講 演 (要旨)
Enter the ghost in his night-gowne': the corpus or corpse of Shakespeare now
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1. 上演とテクストの緊張関係
シェイクスピアの再生は、現在数々の矛盾した方向に向かっている。シェイクスピアの伝記に関する研究が注目される一方、シェイクスピアHenry Neville 説も同様の興味を誘っている。New Historicism はPresentism に置き換えられつつありながら、<文化記憶> の意義が主張されて近現代の記憶の復権が行われる。イギリスにおいてシェイクスピアは公立学校の必修教材であるが、RSC のような劇団は授業に上演を織り込む方法の指導や若年層を次世代の観客として育てる努力も行っている。ステージとページのどちらがシェ
イクスピアをより完全に再生できるかという議論は近現代にまでさかのぼるが、現代ではマスカルチャーの魅力の前に過去の文化が拒否されることへの不安や文化的権威を覆そうとする願望とも関わっている。上演のほうがテクストに優ると最終的には認めながらも、テクストとして世代を超えて伝達された文化遺産が個々の上演に具現化されているという主張も根強い。
Robert Weimann は上演中心とテクスト中心の二分法を問題視し、片方のみを選択するのではなく、相違または概念自体の二重性に焦点を向けることが大切だと論じた。ナラティヴや劇の筋を作り出す「表象としての上演」とその瞬時に体現される「存在としての上演」を定義し、またナラティヴ中で形成される<役>と演技の場の<身体> を区別した。こうして、<役>やナラティヴの解釈と<遂行性>(performativity) の区別が可能になる。解釈とは<役>のミメーシス的再生に影響を与えるが、< 遂行性>は個々の演技者の能力に依存し、その瞬間の観客との即時的関係のみに存在する。このような二種の「上演」がシェイクスピア劇のテクストに内在するが、両者の関係はシェイクスピアの時代から現代に至るまで変容し、同時に議論の的とされてきた。
2.‘Enter the ghost in his night-gowne’
Q1、Q2、F1 の異なったテクストの存在は、『ハムレット』のナラティヴと<遂行性>の関係を複雑にし、『ハムレット』という名で知られる文化的対象の本質に疑問を投じるが、問題は批評の対象がテクストだけではなく<意味>にあるということだ。観客も読者もその場限りの上演を超えた<意味>の存在を期待している。現代の状況や普遍的真実といった何かを伝えているはずだと。新しい演出はいつの時代でも伝統的な解釈を否定して新しい<意味>を見出そうする試みだ。争点はテクストと上演の関係ではなく、理想の解釈の探求にある。
‘Enter the ghost in his night-gowne’というBad Quarto の短いト書きでも解釈を回避することは非常に難しく、例えばG. R. Hibbard はナイトガウンを着た亡霊では笑いを誘うのではと懸念し、豪華な部屋着のことであるという注釈をつけた。このような細部にまで、予想される不適切な反応を避けるための努力が見られるのだ。編者は、<意味>の構築に不適切な障害を取り除き、テクストの一貫性を実現させる。Ann Thompson とNeil Taylor は、Q1 とF1 の因果関係の存在は確かでも両者の関係に関しては同意に至らないと述べる。Q1 のある部分を拒絶したり、ひとつの安定した解釈を目指したりすること自体に問題がある。テクストの<真正さ>(authenticity) に関する議論は、シェイクスピアの<真正さ> を舞台で再現しようとする試みにも表れた。1881 年にはWilliam Poel がエリザベス朝の上演の再現としてQ1 を上演したが、折衷版も1888 年のFrank Benson による上演および最近ではKenneth Branagh の映画版に見られる。編者、批評家、演出家によるこれらの実験は、やはり<意味>の探求のためである。劇からそのまま引き出せるはずの<遂行性>は、実際には<意味>の模索に圧倒されている。
20 世紀後期にはJ. L. Styan が「シェイクスピア革命」が終結したと宣言した。シェイクスピア作品は実際の舞台で最もよく再現されること、もともと上演を前提として書かれた作品だということに関して、もはや誰も異論を唱えない。それでも<意味>は捨てきれず、作品中の身体的な描写もひとつの解釈上のディスコースから読まれている。Hibbard によるQ1 のト書きの解釈は、ナイトガウンを着せることにより亡霊の人間性を引き出すことだという。このように、上演上のジェスチュアは演技の瞬間を越えて存在する何らかの< 意味>と結び付けられる。表象としての上演に焦点が置かれ、亡霊が<役>となり、上演の瞬間から劇のナラティヴへと注意が移行する。
3.‘My father in the habit as he lived’
現存するテクストすべてにおいて、亡霊登場の周辺には説明的解釈が必ず見られる。‘My father in the habit as he lived’を含むQ1 のせりふは、亡霊を演じる役者への指示としては過剰である。Q2 でもガートルードが亡霊を見つめるハムレットを描写する。これらのせりふは、亡霊の出現がもたらす効果を観客および読者に対して説明していると考えるのが妥当だ。劇導入部における亡霊登場の興奮も、実は言語によって誘発されている。舞台上の演技自体よりも亡霊を描写するせりふが、観客の印象を支配しているのだ。さらには、劇のナラティヴや解釈が舞台上の演技を決定するとも言える。
ナラティヴに則して舞台上の演技を管理することは、『ハムレット』執筆中のシェイクスピアとって難しい問題であり、近現代演劇の課題でもあった。これは、道化のアドリブに対する作者の不安感に感じとれる。特にQ1 で際立っているハムレットによる道化の酷評には、劇のナラティヴ上の一貫性重視および道化の演技を楽しむには不可欠である役者と観客の即座の同調を避けたいとする傾向が見られる。道化は芝居全体を貫くナラティヴよりもその場限りの演技上の効果を目指すナラティヴを超えた存在である。劇作家としてシェイクスピアは上演の際に<意味>を確定することの困難さに気づいていたようだ。意図する効果を喚起するために上演を管理しようとする試みは、黙劇のト書きの発展に明らかである。Q1 では単なる動作の指示を羅列す るだけであったのが、Q2 になると役者がいかにして<役>の内的葛藤を再現するかを指示している。F1 ではこの感情表現に関する説明がさらに進み、ナラティヴにつながる<役>の内面と動機が強調されている。一方、ト書きはせりふ以外の手段で観客に感情を伝えることの難しさを示している。ハムレットの本心の表現は、通常のせりふではなく独白によりのみ可能となる。つまり、独白は内面描写の手段としてシェイクスピアが講じた苦肉の策とも考えられる。
大団円でもハムレットは観客の反応を支配しようとする。だが、ホレイショーの青ざめた顔を観客の適切な反応として提案しても、なぜ青ざめているのか、その<意味>までは伝えようがない。亡霊に関して言えば、作者の意図した効果が得られていないことは確かだ。Thomas Lodge のWit’s Misery における亡霊の描写は亡霊場面の失敗を嘲笑しているとも取れる。シェイクスピアの劇団により上演されたA Warning for Fair Women では、「喜劇」が観客の反応を確定できない「悲劇」を攻撃する。作品中に増加した説明的せりふは、むしろ変わりつつある演劇のスタイルをめぐる<交渉> (ne-gotiation) の一部であると考える。劇場はスペクタクルから共感と情動の場へと移行し、すべての演技を<意味>に帰結させようとする傾向を反映している。
シェイクスピアの文学的価値は、First Folio 出版に寄せられたベン・ジョンソンの有名な賛辞の引用によりしばしば表明される。シェイクスピアは「一時代のものではなく、あらゆる時代のものである」という有名な賛辞はF1 に再生された新しい反復可能な「シェイクスピア」を構築しているが、これは複雑な詩の中のたった一行でしかない。ジョンソン等による序文は、シェイクスピア崇拝の表明であると同時にFirst Folio への賛美でもある。演劇という瞬時に終わる現象を保存する新しい方法としての印刷出版。名声を維持するには読者を持続させなければならない。シェイクスピアは我々(we) 有識者による賛辞のみ値すると主張してジョンソンは読者にへつらい、近現代における読者と観客そして文化的提供物の間の複雑な<交渉>を曖昧にしている。本物の芸術や適切な観客をめぐるジョンソンの議論は、拡大しつつある印刷産業という脈絡の中にある。商業という低俗な問題には触れずに、商業的に成功した劇作家シェイクスピアを高級品市場に格上げしようとした。
『ハムレット』のテクストの変遷をたどることにより、First Folio と同時代の商業演劇におけるシェイクスピアの立場の関係が想定できる。また、上演とテクストの間の優位性に関する論争はシェイクスピアの価値に貢献する<対立>(dialectic)の一部であり、現在のシェイクスピアが明日の新しいシェイクスピアに転換されうる潜在的エネルギーを持っていることを改めて確認している。
研究 発 表 (要旨)
「近代」に絡め取られたイアーゴー 杉浦 裕子
「自分がこういう人間だと言うのは自分次第」と主張するイアーゴーの近代的個人主義は、彼の強烈な自意識と人生の意味の追求へと繋がる。今回の発表では、イアーゴーが「悪党」を演じることで観客に自己の新たなドラマを呈示していることを分析し、また彼の結末について考えた。 リチャード三世及びエドマンドと比較した時、イアーゴーは独白を多用しながらも観客に対する自己開示が曖昧であるということ、そして周囲の人物が誰一人として彼の悪辣さを見抜いていないという二点が際立つ。
特に後者から考えられるのは、“honest Iago”の方がこれまでイアーゴーのアイデンティティの主な部分を成すペルソナだったということである。長期にわたり忠実な部下を演じ続けてきた挙句、「旗手」というオセローの存在を示す「記号」にしかなれなかったイアーゴーは、「旗手」というタイトルと、「イアーゴー」という名前(オセローとの主従関係において構築された忠実な部下としての自分)からの脱却を試みる。“I am not what I am” と言うように、それまでの役割から距離を置き、「悪党」という新たなペルソナをつけることで、比類なき自己の証明を試みるのだ。
従って、イアーゴーは悪人が善人を装うという単純な演技者ではなく、観客に逸脱者・悪党と認識してもらうことを重視する「劇場型犯罪人」である。イアーゴーは観客の視線・道徳律を利用しながら悪党としての自己を形成し、観客を自分の芝居の協力者に仕立て上げ、同時に悪の動機付けは観客任せにする。そしてこの、断言は避けつつもまやかしの情報を提供し、相手の判断力を失わせて自分が描く虚構世界の共同構成者とし、最終的な判断を下すのは相手に委ねるというやり方は、もともとイアーゴーがオセローを破滅させる際に用いた手法でもある。
しかし近代が生んだ「人間的個体の崇拝」の虚構性に気づいていなかったイアーゴーは、周囲の世界を破壊するあまり自己の主体を発揮する場も失う。また、身の破滅に至っても観客の共感や同情を排し極悪人の役を全うすることで、強烈な自我を見せるものの、同時にイアーゴーは観客・読者・批評家によって結局オセローの寄生虫の様な存在にされている。近代個人主義を信奉したイアーゴーは、近代のパラドクスと近代的観客に絡めとられた人物なのである。
サイファーとしての女性という寓話―『オセロー』における身体、ジェンダー、流動性
野田 学
Shakespeare のOthello におけるDesdemona は、不在のところになぜかいる、不在の印を押された一種の「ゼロ記号=サイファー」である。このゼロ記号としてのDesdemona が、男性社会を補完する一種のメタ記号として流通することにより、先行/後続の逆転が生じ、最終的にOthello のマスキュリニティの流動化と転覆につながる。――以上の仮説を検証し、結果的に脱構築の寓話として作品が呈示する過程を読み取ろうとするのが本論である。その意図は、作品の脱構築ではなく、作品の中に脱構築過程がアレゴリカルに書き込まれている様を示すことだ。その際に着目したのは1) ゼロ・バランスを基点として考える複式簿記の重商主義経済における普及(14 世紀以降)、2) 複式簿記の普及にも携わったSimon Stevin の『小数論』(1586 年)によるゼロの基点化、そして3) Francois Viete の『解析術序論』(1591 年)による代数における変数の導入である。この一連の過程がもたらしたのは、1) メタ記号としてのゼロと変数の導入による数字記号体系の再組織化、2) それにともなう数字の事物特定性の喪失、そして3) あらたなる「代数学的主体」の誕生である。本論は、このようなゼロおよび複式簿記のイメージが作品の底流を形成しているとし、それを貨幣としての女性の隠喩、ハンカチの流通、主観の移入、Othello が有する身体が流動化する様をあらわす比喩、そしてOthello によるDesdemona 記述の分裂など、テクストに即した議論を通じて考察した。最後に本論はWalter Ben-jamin の言語論および芸術論に依拠することにより、この作品が呈示するのは、名称と事物が一致していた「根源(Ursprung) 」を繰り返し歴史の死相として記述しながらも、そのたびに発した言語が自ら裏切られていく、Benjamin 的なバロック演劇におけるアレゴリーのまなざしであると論じた。
マルヴォーリオの病
渡邉 晶子
Olivia の台詞“you are sick of self-love” は、Arthur Golding 訳によるOvidius 作Metamorphoses のNarcis-sus とその挿話とにMalvolio が関係していることを示す台詞である。しかし、一般的に指摘されるNarcissus との類似点はMalvolio 一人に限ったことではない。自己の世界にこもるという点ではOlivia やOrsino にも表面化したNarcissus の性質であるし、比喩的な意味まで考え合わせれば、Sir Toby もその性質をもつといえる。もちろんMalvolio にも、自己の世界に陶酔する様子がみられる。偽ラブレター事件の直前、「自分の影」を見ながら礼儀作法の練習をする場面に最もよくその姿が現れている。
しかしNarcissus とMalvolio の類似点は、このような表面的な一性質には収まらない。Narcissus は挿話の主体から客体へと言動位置を変化させる。主体として他人に軽蔑を与え続けるだけのNarcissus は、他者からの影響を受けない存在である。つまり、Narcissus は客体化されることを拒むのである。ところが水に映る自分の姿を見たとき、自らが愛を与える主体でありながら、 愛を受け入れる客体となる。Malvolio もTwelfth Night の中で同様の主体と客体の位置をとる。ただし、Narcissus の見せる変化とは順番が逆である。Olivia に仕えているという点で、また、Sir Toby の苛めの対象であるという点で、Malvolio は客体である。だがMalvolio は、Orsino たちの結婚を左右するほどに重要な事項を未解決のまま、復讐を決意して退場していくとき、劇の主体へと変化する。Narcissus のように客体として永遠に孤独の世界で自分自身だけを相手に生きていくのではなく、主体として、他者に対し容赦のない軽蔑を与え続けるキャラクターとしてMalvolio は作られているのである。
『じゃじゃ馬馴らし』におけるペトルーキオの財産獲得の方法とその意味すること
中村 裕英
『じゃじゃ馬馴らし』はテクストの細部においていくつかの亀裂を内包している。その亀裂はペトルーキオの結婚を中心として広がっている。その最大の問題は、ペトルーキオは父が亡くなり多額の財産を手に入れたにもかかわらず、なぜ好き好んでじゃじゃ馬と結婚するのか、ということである。この疑問は、ペトルーキオの、 “ You knew my father well, and in him me,/ Left solely heir to all his lands and goods, / Which I have bettered rather than decreased.” (2.1.112-14) という言葉を、私たち(観客、読者)が信じているかぎり、解決されることはない。にもかかわらず、劇におけるほとんどの状況が、ペトルーキオはほとんど無一文であることを示唆している。こうした亀裂は、この劇が相対立する二つの原理を同時に満たそうとしたために起こったものである。一つは、劇での出来事に関し当時の結婚の慣習をできるだけ満たそうとするリアリスティックな原理である。もう一つは、ケイトを馴らすためには、ペトルーキオはじゃじゃ馬のケイトと結婚しなければならない、という物語の原理(論理)である。前者の原理に従えば、多大な持参金を持つケイトと、ほとんど無一文のペトルーキオは、結婚できない。しかし、後者の原理を満たすためには、ペトルーキオはケイトと結婚しなければならない。この矛盾が、ペトルーキオに「嘘」をつかせて、ケイトの父親に、彼を結婚のディスコースにおいて「ふさわしい夫」(金持ちで、堅実にお金を増やせる男)に見えさせているために、この劇の亀裂となっている。その亀裂を生じさせた歴史的圧力としては、当時の社会に数多く存在していた、インフレによって貧しくなったジェントリーの息子たちや貴族の次男、三男の存在がある。しかし、この劇はペトルーキオの表象を現実にあり得ることとしてでなく、むしろ、そうした未婚の貧しい男性観客の願望を成就させているだけである。
メアリアムの変奏―『ミラノ公爵』と『メアリアムの悲劇』
吉田 季実子
17 世紀初頭に英国初の女性劇作家とされているElizabeth Cary によって書かれたクローゼットドラマ、The Tragedy of Mariam は、ほぼ同時期に職業劇作家のPhilip Massinger によって書かれたThe Duke of Milan と同一の材源を持つ作品である。材源であるFlavius Josephus のThe Jewish War からのプロットの改変には、両作者の社会的なポジションや、ジェンダー等が反映されている。Massinger の作品ではエンターティメント性が横溢している一方で、ミソジニー的視点が充満しており、変幻自在のvillain であるFrancisco の描写が斬新であり、当時の社会的要請への返答として成立している。その一方で、Cary の作品はクローゼットドラマとして書かれたという前提以上に、作者Cary の私的側面やフェミニスト的な主張が読み取れるといってよい。
Cary 作品を論じる上で、彼女の娘の一人である修道女が著した、The Lady Falkland: Her Life の中に描かれているCary の伝記的側面、特に1626 年のカトリックへの改宗問題とそれに伴う夫や長男との確執を読み込むことは盛んに行われており、特に、Cary を劇中の受難のヒロイン、Mariam と重ね合わせる先行研究が多い。当研究発表では、伝記中に登場する聖女的側面をもったCary と、その一方で改宗を巡る記録にのこる、したたかな側面を持つCary の二面性を考慮し、むしろCary の自律した主張が悪女として表象されているSalome に投影されているという点について検証した。中でも、改宗を巡るCary 本人の言説は17 世紀当時のequivocation をなぞっているもので、劇中でレトリックを駆使して他者の言動を操作することのできるSalome の姿に重なっており、またSalome のセリフにも、単なる悪役に過ぎないフェミニスト的な発言が多いことからパフォーマンスを行う主体としてのSalome というキャラクターに、同じくパフォーマンスを行う主体であったと思われるCary が、自身の主張を代弁させているのではないかと思われる。したがって、Cary によるこのクローゼットドラマには作者の主張が複層的に投影されているといってよいのではないだろうか。
『黒の仮面劇』にみる主催者アナの主体性
尾坂 純子
本発表は、自分の宮廷を持つ王妃Anna が主催した仮面劇The Masque of Blacknesse(1605 年上演)における主催者Anna の国王James への対抗的な自己表現の可能性を考察した。具体的には、まず始めにAnna がその存在を前景化して演出したBedford 夫人が、James への抵抗を象徴するAnna の宮廷女性であることを資料を通して確認し、その後Anna の行進場面にその対抗的な演出を見た。
Blacknesse は、妊娠して登場した主催者Anna が、James の英雄的行為の実りとして語られていたHenry 皇子誕生の物語を領有する自己を表現した上演として見ることが出来る。1594 年に催された皇子洗礼祝祭では、James の発案・依頼によって皇子誕生をJames の行動力の成果として祝福する豪華船が登場した。この豪華船の舳先ならびに前檣の銘は、儀式を済ませ王妃となっていたAnna を、その漂流先まで出迎え、異国の地でAnna との結婚を完成させたJames を、英雄Jason と称揚するものとして読むことが可能である。
Anna はBlacknesse の行進の場面で、James の英雄物語を転倒させる自己を表現するために、物語が漂流先のAnna を床入りの対象として<金の羊毛>と豊穣を表象する記号を扇に記し、扇を掲げながら玉座に向かって前進する行為を、Anna による英雄としての役割の転倒として演出している。 Anna が上演の自己演出にあたって利用したJames の彼女を求めての船出の物語は、James 自身が、Anna 宛のソネットの中でも言及した出来事でもあった。
想像の王権―The Widow Ranter における不在の権威について
福士 航
Aphra Behn のThe Widow Ranter, or The History of Bacon in Virginia は、「新世界」に舞台設定されているために、ポストコロニアル批評から関心を集めてきた芝居である。しかし従来のBehn 研究のなかでは、そのような関心はむしろ例外的なもので、The Widow Ranter が単独で論じられることは稀であった。近年になって、フェミニズム批評や歴史主義的批評などの観点からこの劇を読み解く作品論が立て続けに発表されている。本発表では、このような関心の高まりと批評の蓄積を踏まえた上で、この劇を、ジェンダー的・階級的・人種的に問題を孕む部分に注意を払いながら、できるだけ多面的な視点から読み直す作業を行った。
具体的には、未亡人Ranter の表象の分析、「インディアン」の王Cavarnio と女王Semernia の表象の分析を行い、さらに大団円で強調される植民地総督の不在が、芝居が発表された1689 年の時点でどのような意味を持ち得たか考察した。Ranter は、商売や戦争など男性的な領域とされていた部分に積極的に参画する女性として描かれる一方で、彼女の階級的な低さが繰り返し言及される。煙草やパンチという酒を好む彼女のマナーは、元流刑囚も含まれるヴァージニア議員たちと共通しており、劇世界に高貴さが欠けていることを強調してしまう人物でもある。「インディアン」の王と女王は、愛と名誉の重視という、劇中の西洋人には欠けている高貴さを持ち合わせるように描かれる。しかし同時に彼らは、呪術によって戦局を占い、弓矢のような原始的な武器で戦闘に臨むといった、「後進的」な現地人というステレオタイプ的表象もされる。彼らには高貴さは備わるものの、西洋的血統が欠けている点が前景化されもするのである。大団円において正統な権威が不在であることが改めて強調されるこの劇世界には、王権擁護者Behn にとっての「正統な」王位継承者James II が国外退去した後の英国が、確かに重ね書きされているのである。
Macbeth における魔女の表象
松岡 浩史
魔女理論とは現実世界において魔女が跳梁し、悪行(マレフィキウム)を行使するという客観的現象についての議論であると同時に、魔女の頭の中でどのような操作が悪魔によって為され、その結果いかなる罪が生成されるのかという知覚についての言説でもあった。Macbeth において王殺しの直接の原因となるのは三人の「魔女」たちによって植え付けられる王権簒奪の妄想である。しかし魔女理論が想定する魔女とは悪霊によって「幻覚を見せられるもの(the deceived)」を指すのに対し、Shakespeare のMacbeth の中では「幻覚を見せるもの(the deceiving)」となっておりその立場が逆転している点は注目に値するだろう。幻覚という問題は、魔女たちにおいてではなく、ほかならぬMacbeth の知覚において前景化されるのである。また、悪霊が抱かせる妄想は常にキリスト教共同体の転覆であるはずだが、この芝居の中ではこれが国家の転覆にすりかえられる。三人のweird sisters はMacbeth にこの幻想を植えつけることで、極めてJames 的な魔女を創り出すことに成功しているのだ。かくしてMacbeth は、James が自らをカリスマ化する上で必要な仮想敵としての、国家転覆を目論む悪魔の代理人として表象されるだろう。Macbeth における魔女の表象は、一見するとJames のDaemonology (1597)の演劇版に見えるが、実は当時の知覚理論が想定していた領域において幻覚の可能性が捨てきれないような表象の仕方をしているといえる。この劇世界はMacbeth が体現するように魔女/知覚理論の交錯線上に結像する不安な表象の世界であり、それはちょうど短剣の幻覚のように我々の手からすり抜け、安定した解釈を許さないところがある。「マクベスは眠りを殺した(Macbeth does murder sleep)」という声が誰の声なのかは結局わからない。しかしそのような不確定性こそが、Shakespeare がScotland における王権簒奪という不規則な王位継承を劇化する上で利用したドラマツルギーであるといえるのではないか。
“Ah, Mephistopheles!” ―Gender Reversals in Christopher Marlowe’s Doctor Faustus
和治元 義博
1 幕3 場において、地獄落ちした惨めな自分を嘆くMephistopheles に対してFaustus は‘Learn thou of Faustus manly fortitude’ (I. iii. 87; A-Text) とアドバイスする。その後Faustus は妻を望むが、Mephistopheles と彼との間で交換される女性の美しさは、いかに男性に似ているかで判断される。このような性的対象としての女性の遠景化はHelen 登場の場にも見られる。Helen は、Faustus によって男性のJupiter に譬えられ、Faustus は自らを女性のSemele に譬える。このような性的対象としての女性の回避、またジェンダーの転倒は一体何を意味するのであろうか。
Faustus が恐れ、彼に罰を下すのは男性的な「怒れる神」である。一方、彼の心の中に欠如していたのは慈悲深い「救いの神」である。「救いの神」は女性と結びつけられる。なぜなら、救いの可能性をもたらす「慈悲」「慈愛」「恩寵」といった概念は、中世以来「女性性」が帯びさせられていたからである。Faustus は自らをSemele という女性に譬えながらも、救いと結びつく「女性性」に気づくことはなかった。
また、Faustus がMephistopheles に持つよう促した ‘fortitude’ はキリスト教の七元徳の一つであり、中世以来「絶望」「怠惰」を打ち負かす美徳であった。5 幕1 場でMephistopheles に絶望の象徴である短剣を差し出された時にこそ、Faustus はこの美徳を持つべきであった。悪魔に八つ裂きにされる恐怖を乗り越えて神に慈悲を乞うことこそ本当の‘manly fortitude’であるはずなのに、彼にその勇気はなかった。「女性性」「男性性」がそれぞれに持つ、救いに至る意味を理解できなかったことがFaustus の悲劇ではないだろうか。
セミ ナ ー (要旨)
「第2次ブラックフライアーズ座」をめぐって ――あるいは、「グローブ座」炎上
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1613 年6 中の砲声効果による失火で、国王一座心に月29 日、Henry VIII 上演の(夏季公演の)拠点である「第1 次グローブ座」が炎上焼失するが、それ以後「第2 次グローブ座」が再建されるまでの約1 年間、この不測の事態を彼らがどのように切り抜けようとしたのか、という具体的な演劇状況に焦点を当てて、(この非常事態の<演劇的痕跡>に留意しつつ)「第2 次ブラックフライアーズ座」をめぐる諸問題を角的に検討しようと試みた。
セミナー全体の議論の基礎資料として、(コーディネーターの要望も取り入れて作成して頂いた)当時の「ロンドンの劇場年表(1596-1642)」・「Indoor Playhouses を中心とする様々な演劇空間の比較平面図(同一縮尺)」・「第2 次ブラックフライアーズ座の比較再建平面図(同一縮尺)」・等について増田珠子氏から簡単に説明してもらったあと、以下のテーマのもとに各メンバーが発表を行なった。[それぞれのテーマの要約は各発表者による。]
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Staunton Blackfriars Playhouse を中心に(村上 健)
2001 年9 月、米国Virginia 州の閑静な田舎町Staunton(Washington DC の南西約200km ;人口約25000 人)で再建開場され、今年5 周年を迎えた(第3 次)Blackfriars Playhouse (世界唯一のShakespeare 屋内劇場)について報告した。この劇場を拠点として優れた公演を行なっているのはAmerican 多Shakespeare Center( ‘Shenandoah Shakespeare Express’ として1988 年
に創設された劇団;詳細は “www. americanshakespearecenter.com” を参照)だが、そのExecutive Director であるProf. Ralph Alan Cohen(Mary Baldwin College, Staunton )から提供された劇場の建築設計図(立面図と平面図;Tom McLaughlin 設計)を紹介し、90 枚のディジタル画像を使って劇場構造と演出上の諸特徴(特に舞台と客席の照明)などについて概説した。
グローブ座炎上を「語る」(住本規子)
炎上した劇場の被害状況の把握という原点に立ち戻ることが、この火災によって国王一座が劇団運営上せまられたであろう対応を考える際欠かせないという問題意識から、グローブ座炎上をめぐる「かたり」に注目した。我々に残された「かたり」に存在する被害像の「揺れ」を踏まえ、最新では1981 年に発見が発表されたものに至る当時の「かたり」を11 件集め、現代の研究書に見られる「かたりの揺れ」がこれら11 種類の「かたり」が内包する矛盾や「かた」られた被害の相のズレのひとつひとつを取捨選択し組み合わせたことによる「揺れ」であることを確認した。冬の真夜中におきたフォーチュン座炎上をめぐる比較的安定した「かたり」と比べると、グローブ座炎上をめぐる「かたりの揺れ」は顕著であり、研究者ひとりひとりが11 種類の「かたり」について、「かたり手」や「かたりの場」の種類と性質を把握する一方、被害像の輪郭を「揺れ」ごと捉える柔軟性も必要なのではないか、とした。
グローブ座の焼失と暗闇の出現(鳴島史之)
ブラックフライアーズ座の舞台では、完全な「闇」を演出することは不可能であった。しかし、例えば窓に付けられたカーテンを閉めることによって、ある程度の闇を確保できたのではないか。また、幕間のろうそくのmending 方法によって、舞台上の闇を調整することも可能であった筈だ。多くの「光」を集めることに最大の関心を払った屋外のグローブ座の演出との最大の違いが、この点に観察されるようだ。
暗闇を演出する舞台は、芝居が始まる前から窓のカーテンを下ろしておける第一幕に集中している。例えば、The Tempest は、薄暗い舞台での花火の音と光で始まり、花火の音と光で観客を驚かす演出も可能であったろう。
Two Noble Kinsmen の冒頭では、白いローブの少年が判別される闇が確保されているなら、演出効果は高い。
Ben Jonson のCatiline の第一幕で、ト書きに“A Darkness comes over the place.” とあるように、突然暗闇が演出される。Julius Caesar の同様の場面では、時計の音が彼らを驚かす。グローブ座とブラックフライアーズ座の演出上の最大の違いが、この音と光の違いなのである。ブラックフライアーズ座以降、芝居の演出方法自体が、「闇」を扱うことに関心を払い出したと考えられる。
Two Noble Kinsmen の「語り」(鵜沢文子)
1613 年のグローブ座焼失がTwo Noble Kinsmen の成立に何らかの影響を与えているとしたら、どのようなことが考えられるのか、劇の構造に焦点を当てて問題点を整理した。この作品では独白や当事者以外の人物による描写によって観客に情報を伝えようとするシーンが多い。例えば、第4 幕2 場冒頭の50 行以上に渡るエミリアの独白は、Quarto (1634) にあるト書きの問題とその後の台詞の流れを考え合わせると、騎士を従えた二人の貴公子を実際に舞台に登場させる代わりに、貴公子たちの容姿を詳細に描写するために後から書き加えられた可能性がある。このことは、ブラックフライアーズ座での上演を想定した場合にどのような意味を持ちうるのか。グローブ座より小さく、屋根で覆われた空間であったこと、グローブ座での上演とは異なる幕間の時間が存在したことなどを踏まえて、「語り」で筋が展開されていくこの作品の特徴について述べた。
The Two Noble Kinsmen と二つの劇場(森祐希子)
ブラックフライアーズ座で初演されたことがほぼ確実なTwo Noble Kinsmen を取り上げ、作品の特性と上演劇場との関連を考察した。グローブ座炎上からこの作品の推定執筆時期までを、その前後数年というタイム・スパンの中においてみると、王女Elizabeth の結婚と皇太子Henry の死に起因する、演劇的に変則的な時期が浮かび上がってくる。また、建築に必要な期間などから、この作品が書かれたのは、劇団がグローブ座再建を決意したか、あるいはその可能性が濃くなった時点だと思われる。さらに、劇中で再利用されている王女の結婚祝賀仮面劇の変更点からは、演劇の仮面劇化というより仮面劇の演劇化と言うべき要素が見えてくる。この劇は、実は二つの劇場で上演可能で、どちらでも成功を収められるよう意図されたのではないか、という推論に至った。Two Noble Kinsmen は、国王一座所有の二つの劇場の差異を示す作品というより、劇場演劇と宮廷演劇の関係を考える上での手がかりになる可能性がある。
Indoor Playhousesの演劇空間(増田 珠子)
グローブ座炎上から再建にかけての時代、劇団は占有劇場を変えることも多く、いわゆるpublic theatre からindoor playhouse へ、あるいはindoor playhouse からpublic theatre へ移るのもさほど珍しくはなかった。特定の劇場を長年占有するという国王一座のようなケースの方がむしろ例外的であり、public theatre でのレパートリーがindoor playhouse では使えない、あるいは使いにくいというような不自由な状況は想定しづらい。広さという点から考えれば、第2 次ブラックフライアーズ座以降のindoor playhouse は大雑把に言って似たような幅の舞台を確保できるような空間だった。確かにpublic theatre とindoor playhouse では格段に劇場の大きさ(観客の収容力)が違い舞台の広さもかなり違うが、当時は宮廷や法学院でも上演が行なわれていたことを考えると、演劇空間に多少の大小はあってもそれに柔軟に対応できる力が劇団には求められていた筈である。つまり、劇場の広さに焦点を当てても、グローブ座用とブラックフライアーズ座用のレパートリーがきれいに分かれていたとは言い切れない。演劇空間という視点からすると、ブラックフライアーズ座はグローブ座を失った穴を埋める役割を充分に果たしていたと考える方が、むしろ自然なのではないか。
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以上の発表を受けて補足発言と討論に入ったが、この夏Staunton Black-friars で上演されたThe Tempest (Giles Block 演出;本セミナーのテーマを論ずるのに最もふさわしい戯曲のひとつ)を具体例として「屋内劇場と照明」などの問題に踏み込もうというコーディネーターの当初の目論見を生かすには、残念ながら充分な時間が残されていなかった。しかし、議論が拡散する可能性がかなり高い「大きなテーマ」にもかかわらず、1613 年前後の演劇状況に留意するという問題意識を共有できたお陰か、(限定された特定の問題を追究する個人研究発表では望むべくもない、)多様な視点から見た(時に相反する)全体像が徐々に浮かび上がるという、セミナーならではの面白さ(と難しさ)もよく出ていたのではないか、と思い返している。
シェイクスピアと異文化プロダクション
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Prior to the seminar on Monday 9th, on Sunday 8th we showed the following parts of videos and DVDs from 16:30-18:00 to facilitate the seminar:
- Lady Macbeth in Tsuchizaki Port (2004), written and directed by Tatsuhiko Taira.
- King Lear (2004), directed byYoshihiro Kurita (Ryutopia Noh-gakudo Shakespeare).
- Tokyo/Absence/Hamlet (2005), written and directed by Akio Miyazawa.
- Go (2001), directed by Isao Yu-kisada.
- Kyogen of Errors (2001), directed by Mansai Nomura. >/li>
- The Tale of Lear (1984-), directed by Tadashi Suzuki (Shi-zuoka Performing Arts Company and The Moscow Art Theatre).
- Othello (2005), directed by Sa-toshi Miyagi (Kuna’uka Theatre Company).
NB: To our great regret, we were unable to show The Al-Hamlet Summit (2002, 2004),written and directed by Sulay-man Al-Bassam and The Shakespeare Trilogy, directed by Ong Keng Sen (1997, 2000, 2002).
The purpose of this seminar was to problematize intercultural works of Shakespeare that have been pro-duced in Japan as well as elsewhere in the world and to re-think their characteristics, possibilities and po-tential limitations.
First, it should be said that there was general agreement on the keyconcept of intercultural productionamong us: it is a production based oninterculturalism. However, we did not agree on what interculturalism meant, although some members seemed to agree with Pavis’ idea given in the handout: “Intercultural theatre. In the strictest sense, this creates hybrid forms drawing upon a more or less conscious and voluntary mixing of performance traditions traceable to distinct cultural areas. The hybridization is very often suchthat the original forms can no longerbe distinguished.” (Patrice Pavis, ed., The Intercultural Performance Reader, London: Routledge, 1996, 8.)Interculturalism may broadly be defined as a movement seeking the reorganization of local cultures upon the basis of understanding culturaldifferences. Second, we tried to ex-plore our subject with focus more onpractices than on theoretical consid-erations.
In Part I, each of eight partici-pants explained his or her paper. Ian Carruthers discussed the reception of Suzuki Tadashi’s adaptations and intercultural productions of King Lear and Macbeth in Britain, Amer-ica, Australia and Russia, mention-ing also the difference in approaches to Shakespeare between Tadashi Suzuki and Yukio Ninagawa.
After treating a central paradox of interculturalism, in which one accepts a different culture while re-taining one’s own culture, Shoichiro Kawai argued for Ninagawa’s Ja-panization for Japanese audiences, discussed Yasunari Takahashi’s Kyogen of Errors, a Kyogen version of The Comedy of Errors, and also mentioned his project of Kuni- nusubito, an adaptation of Richard III for June-July 2007.
Tatsuhiko Taira treated five pro-ductions of Japanese adaptations of Macbeth, especially Tsuchizaki Mi-nato no Makubesu Fujin (2003) and insisted that the Akita dialect used in this performance produced a dramatic rhythm much like Shakespearean blank verse.
Kumiko Sakamoto discussed the reception of Ninagawa Shakespearein London in search of what is expected of intercultural spectatorship, questioning London reviewers on their consumption of now the mostfamous director of Japanese Shake-speare.
Ted Motohashi put contemporarytheatre into three categories, multi-culturalism (e.g. Brook, Nina-gawa), inter-culturalism (e.g.Mnouchkine, Suzuki, Noda) and transculturalism (e.g. Ong Keng Sen, Chaudhuri, Miyagi) and gave anappreciation of the postcolonial challenge of Miyagi’s Kuna’uka Shake-speares.
Hiroyuki Kondo argued that interculturalist translators should impose their local readings on thesource text to create a text for their own particular audience and also stressed the importance of considering gender issues for intercultural productions of Shakespeare.
After calling for further investiga-tion into the intermingled cultural history of Shakespeare reception andperformance in East Asia, Kaori Ko-bayashi explored the possibility ofnew intercultural productions herethrough analysis of a Korean-Japa-nese film adaptation of Romeo and Juliet, called GO.
Kohei Uchimaru discussed the limitations of formal aesthetics employed by most Japanese directors of Shakespeare at the expense of narratives and their relevance to our age,and gave an appreciation of AkioMiyazawa’s daring adaptation, Tokyo/ Absence/ Hamlet (2005).
(Obviously it is impossible to summarize the participants’ papersfully in this given space since most ofthem are substantial, and I hope that they will be published.)
After a ten-minute break, we had a chance of watching a scene in LadyMacbeth in Tsuchizaki Port per-formed by Masumi Matsukawa; it was an interesting example of theintercultural production of Shake-speare in Akita dialect.
Following the performance, we began Part II, the discussion session. As explained above, the eight par-ticipants were extremely diverse both in their theoretical and practical considerations. They treated a vari-ety of the intercultural works and topics of Shakespeare. Moreover, their critical and/or political posi-tions were different or almost dia-metrically opposed; some were liberalon the one hand, while on the other others were radical. However, all of them problematized in their own ways intercultural works of Shake-speare that had been produced in Japan and reconsidered their char-acteristics, possibilities and potentiallimitations. We therefore started to discuss the fundamental issue, “What counts as an intercultural production of Shakespeare? and also who and what are those directors and theatre people producing for, and to what ends?” A diversity of re-sponses were given as expected, and we conducted vigorous discussions onother related topics; in all probability,however, we tended to problematize Ninagawa Shakespeare especially because his Titus Andronicus was performed in June at the RoyalShakespeare Theatre as a part of the Complete Works project for 2006-2007.
We then asked two commentators to contribute to our discussions. Li Lan Yong first mentioned that it would be easier to think intercultural productions in Singapore, a nationthat was more multi-cultural and multi-national than Japan, with internationally famous directors such as Ong Keng Sen. Introducing thekey concept of interculturality, she argued that we should reconsider the cultural dimension of intercultural-ism more fully and subject positions or subjectivities in intercultural productions.
Tetsuo Kishi discussed a great deal about Japanese productions of Shakespeare and their receptions in the USA, UK, etc. Leaving Ninagawa’s success inthe UK as an exception, he stressedthe importance of intertextuality, therelation between text and perform-ance, and especially the paradox oftheatre: dramatic language is em-bodied by an actor. He therefore hoped that we should pay more at-tention to the bodies of the actors and their voices.
We then invited response from the floor; one of several responses only could be mentioned here. After ex-pressing some skepticism about in-terculturalism partly based on his attendance of Ong Keng Sen’s lecture, Manabu Noda questioned an inter-cultural divide in the Kuna’uka Theatre Company’s Desdemona, a divide between a responsible inter-cultural vision and an irresponsible intercultural vision or cultural con-rather than over-concentrate on their sumerism. cultural and national differences.
Finally, Kate McLuskie was invited To conclude, whatever critical to speak; she suggested that whileposition you take, the time is ripe to appreciating our consideration of explore further intercultural produc-intercultural Shakespeare, we might tions of Shakespeare here and world- concentrate on individual produc-wide. tions and directors more specifically
エリザベス1世の表象
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Yates 、Strong の時代から、1990 年 代の複雑化、多様化を経た時期にあることを意識し、文学的ジャンルを中心としつつも、エリザベス表象に関する多様な議論の提出をめざした。担当分野の割り振りはせず、9 月から報告文書の回覧と意見交換を行なった。その結果、主たる関心領域は、清水、篠崎、末廣が統治晩年の詩、竹村がスペンサーと1590 年代の大衆文学、間瀬がジェイムズ朝のシェイクスピア、米谷がエンターテインメントということになった。全体として時代やジャンルの 広がりを確保するとともに、作品分野 の重なり合いや話題の近接性によって 議論も比較的うまく噛み合い、ある程 度バランスのとれたセミナーとなったと思う。今回のセミナーで、エリザベス表象の問題を考える際に、1590 年代の多様化という状況が重要な領域であることが明らかになった反面、その時 期の政治・社会的状況への目配りの必要性とその領域の茫洋たる広さに目も くらむ思いだった。各メンバーの報告概要は以下の通り。
清水 「“Queene without Compare” ――表象不可能というレトリックとシェイクスピアのポエティックス」と題して発表を行なった。
エリザベス1世治世最後の約10 年間は、女王の高齢化に伴って女王表象も多様化し、統制不可能な様相をも示したと推測されている。その一方で、シェイクスピアなどに顕著に見られるように、表象そのものを不可能とし、女王を表象することなく女王の時代を賛美するポエティックスが存在した。それはギャスコインやシドニーにすでにその先鞭が見られるもので、詩が宮廷政治のコンテクストから離れて寓意を捨て、さらにシェイクスピアを経て、いわば純粋詩へ向かう一つの流れを形成する。その流れを辿る上で注目したい作品が、『ヴィーナスとアドーニス』、『夏の夜の夢』、『不死鳥と山鳩』などである。ヴィーナスは女王に似て女王でない。しかし譬喩において英国田園風景を美しく描くことで、国土と女王の身体を連想させ女王の時代を賛美する。『夏の夜の夢』ではボトムが妖精の女王との一夜を摩訶不思議な夢と呼び、そのような喜劇を可能にする女王の時代を享受する。女王の治世最晩年の作『不死鳥と山鳩』は、形而上詩をも連想させる詩だが、不死鳥がまた女王に似て女王表象でない。そこでも新プラトン主義の三位一体のイメージに紛れ込ませる形で、類い希なる時代として女王の治世を称える。シェイクスピアが追求した表象不可能のポエティックスは、『ソネット集』においてついにあらゆる比較を拒絶し、同語反復の袋小路に陥る。
篠崎 「ベン・ジョンソン『シンシアの饗宴』(1600 年)とシェイクスピア『ヴィーナスとアドニス』(1593 年)におけるアクタイオーン神話への言及」に着目して、エリザベスの称揚をかならずしも目的としない演劇と詩というメディアで、劇作家、詩人がどのようにエリザベス表象を利用したかという問題を考えた。アクタイオーン神話への言及がエセックスのエリザベスの寝室への侵入事件に触れたものとされる前者に関しては、「自惚れの泉」がベイコンが創作したエセックスの戴冠記念日槍試合の趣向に基づくものである可能性を指摘し、宮廷に太いパイプをもたない劇作家の宮廷詩人の地位への願望を映しだすものする解釈を提出した。一方、後者におけるアクタイオーン神話への言及は、その扇情的な女性身体の描写と相俟って、秘密を売り物にして読者を引きよせ、その挙げ句読者の求めるものは示さない詩人の戦略である可能性を指摘した。こうした例を挙げることによって、1590 年代の文学におけるエリザベス表象が、エリザベス称揚の様式が確立した1580 年代の一枚岩的なエリザベス表象と異なり、それぞれの詩人の欲望を映しだすものとなっていることを示すことがひとまずできたように思える。
末廣 「エピリオン『サルマキスとヘルマフロディトゥス』(1602 年)に見られるアストライアー表象」に注目した。エピリオンというジャンルは、とくに法学院人脈に属する若き詩人たちの間で流行したが、1590 年代後半になると、その流行は諷刺詩に取って代わられつつあった。ところが、1599 年の「主教の禁止令」によって、マーストンらの諷刺詩が焚書処分にされた。つまり、『サルマキスとヘルマフロディトゥス』はエピリオンの流行が下火になり、諷刺詩の出版が困難になった時代に出版された諷刺的エピリオンとして注目できる。アストライアー表象に注目してみると、ボーモントの諷刺的戦略は重層的だと言える。つまり、ボーモントは、トピカル・アリュージョンなどを用いてエリザベス女王を直接諷刺的に表象することはなく、その代わりに、伝統的にエリザベス称賛のために用いられてきたアストライアーというフィギュールに諷刺的に言及することで、間接的な諷刺を重層的に構成しているのだ。この詩に見られるようなアストライアー表象はもちろんエリザベス表象とは断定しがたいかもしれない。しかし、若き法学院才人が、法学院人脈以外も広く取り込んだ読者層を構築しようとしたときに、諷刺禁止令以降の時代にそれなりのリスクを伴った諷刺の快楽を盛り込むためにアストライアー表象を援用したのではないだろうか。
竹村 「“I am a spirit of no common rate” ̄ エリザベス1 世のロマンス的表象と妖精の女王」と題し、1570 年代後半以降のエリザベス表象に用いられた妖精の女王というモティーフに焦点を当て、その変容の過程を考察した。未/非婚の女王として通常の婚姻制度の拘束を受けないエリザベスの特異な立場をロマンス化する上で、妖精の女王は格好の趣向であったと考えられるが、これを最初に取り入れたKenilworth の祝祭に代表される宮廷風祝祭においては、もともとは中世ロマンス・バラッド文学に由来する妖精の女王に付与されていたエロティシズムを周到に排除しようとする興味深い傾向が見受けられる。ところが、Edmund Spenser のThe Faerie Queene (1590, 1596) を大衆読者向けに書き換えたRichard Johnson のThe Most Pleasant His-tory of Tom a Lincolne (1599)に顕著なように、女王へのアリュージョンは留めたまま、性的放縦というそれまでは抑制されていた妖精の女王の特性を復活させた大衆文学が1590 年代の文学市場に流通する。本報告では、こうした妖精の女王像の変遷には、エリザベス表象の宿命であり原動力であった多義性と多様性のみならず、それが大衆出版や演劇の発展を背景として制御不可能な拡散性をも獲得していった様子が窺えることを論じた。
間瀬 「エリザベス1 世の記憶とジェイムズ:ジェイムズ朝初期のエリザベス表象」と題して発表を行なった。
本発表の目的は、エリザベス1 世の死後に王位を継承したジェイムズ1 世が、その治世の中で、未だ臣民の中に残る前君主エリザベスの「記憶」をいかにして払い、自身への求心力を強化しようとしたか、そしてそのような行動がどのような形で「エリザベス1 世の表象」として現れたか、その事例を特にシェイクスピアの作品の1 つの中に、指摘することにあった。
ジェイムズの行動と、それに呼応する形跡の見られるシェイクスピアの作品を検討するという方法をとり、具体的には、1606 年のジェイムズ1 世によるウェストミンスター寺院内のエリザベス1 世の墓所の移し替え―しかもより良くない場所へ追いやる―と、推定創作年代1607 年の『アントニーとクレオパトラ』の間に見られる呼応を考察し、『アントニーとクレオパトラ』のクレオパトラ像を通して窺える、前君主エリザベス1 世に関するネガティヴな表象を見出すことを試みた。
米谷 エリザベス1 世は実際の芝居の演出者・演技者としての主体性をもつには至らなかったが、1592 年の3 つのエンターテイメント等に見られるとおり、演出する側の政治的意図に従って観客としての姿を見せるという構図によって、あるいは登場人物と対話をする役回りで、芝居の世界に参入した。また、大学への巡幸の際等で女王は、慎み深い純潔な女性という「正しいセクシュアリティ」を積極的に誇示した。しかし1575 年のKennilworth や1578 年のWanstead の巡行等の折に見られた通り、演技者としての女王が時として、もてなす側・演出する側の意図に抵抗したり、エンターテイメントの孕む意味性を検閲する主体としての役割を果たしたし、また他の折には他の(男性)臣下による演説の代読を拒否したりもした。これらの事例は、公的政治的な場における女王の「劇場型」自己成型の議論と共に従来さかんに論じられてきたが、今回は特に、女王が折々に異なるジェンダー配置を用いて、一枚岩ではない自己表象を試みた例として細部を再検討した。女王の演技を「演出」し「表象」しようとする主催者側・劇作家側・演出側の(男性権力の)意図に対して、「演じる側」としての女王がその「演出の意図」にどの程度従ったのか、従うふりをあえて誇張してみせたか、あるいはどのように抵抗し逸脱した証拠が見出せるのか、という観点から、「反・表象」としての「自己表象」について論じた。
京 都 セ ミ ナー(要旨)
Reading Macbeth: Culturally and Historically
(2006 年10 月12 日、同志社大学今出川キャンパス)
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本セミナーには公募により上記のメンバーが集まり、7 月初旬のメンバー確定後、早速、ペーパーを交換して電子メールによるディスカッションを開始した。篠崎氏と大島がセミナー・リーダーを務め、電子メールによる討論とセミナー運営においては篠崎氏が指導的役割を果たし、当日のセミナー司会とこの報告書作成を大島が担当した。8 月中旬には、ディスカッションを経て修正された各ペーパーの要旨と質問などを取りまとめて、McLuskie 教授に送り、それらに対する教授からのコメントが9 月に帰ってきたので、さらにメンバー間で討論を重ねて各自のペーパーを改善した。
当日は秋の好天に恵まれ、勝山貴之委員のご配慮により屋上日本庭園と京都の町並みを眺望する同志社大学寒梅館大会議室という最適な環境の中で、関西圏のみならず、関東や九州からも参加者があり、熱心な良き聴衆に恵まれたセミナーとなった。
セミナーは、楠明子会長によるご挨拶とMcLuskie 教授紹介に始まり、前半では、司会よりセミナーの経緯と当日の進行について説明がなされた後、各参加者のペーパー発表が1 人15 分で行われた。休憩後の後半は、McLuskie 教授から各論に対するコメントがあり、そのコメントに基づいて、メンバー共有の論点に関してディスカッションを行った。以下、McLuskie 教授からのコメントなども交えながら、メンバーから寄せられた要旨に基づき、各論を発表順に紹介する。
三浦氏の“The Market Economy and Social Mobility in the ClothingMetaphors: A Study of Macbeth” は、劇成立時における商人表象が Mac-beth を構築すると主張した。劇には、当時の毛織物業の重要性への関心が、衣服の比喩という形で現れている。これに着目し、Macbeth の経済的規定を試みた。一幕では、Macbeth は王の管理下で経済行為を行う者として描かれる。しかし彼は、当時社会秩序への脅威と見做された商人として比喩的に衣服の売買に関わるようになる。Macduff の家族は、彼の敗北への恐れを、彼が商品となり市場に埋没する不安として表現し、王殺しにおいては、故王の身体の一部(血)が衣服として商品化される。この商品化は、故王の権威を剥奪し、彼が象徴する社会秩序の不安定化を示す。同時に、無実の家臣達の商品化には、故王の身体という衣服が不可欠であることは、Macbeth が故王の権威に寄生し、既存の価値観を完全には克服できないことを示す。称号のない商人の社会的地位が上昇するのは17世紀後半以降であり、劇成立時、商人は社会不安を招きつつも、階級分布図を書き換えるには至っていなかった。彼らの曖昧な立場が、既存の価値観の克服へ向かうと同時にそれに失敗するMacbeth を構築している。そして、貧民の衣服への執着が犯罪を生むという当時の懸念を反映した Angus の比喩は、社会的上昇を可能にする地位と経済力を Macbeth から奪う。以上、市場を定義する際の課題点等に関する示唆を McLuskie 教授より受けつつ、衣服の比喩を社会的コンテクストと結びつけ、Macbeth の欲望の歴史化を試みた。
麻生氏の“Macbeth’s Fruitless Crown: the Symbolism of Kingship” は、「王冠」が歴史的に担ってきた機能と役割を踏まえて、Macbeth において「王冠」がいかに描かれているかを論じた。王冠は王および王国を象徴するものである。ある意味では、王冠は一個人としての国王よりも重要だと見なされてきた。人としての王が死去しても、君主制は存続するが、それには王冠が重要な役割を担っている。王は、戴冠式によって王冠を頭上に戴いて初めて王になり、最高権力を手に入れることができる。Macbeth では、王冠は王が正当な王として王国を支配するために頭上に戴かなくてはならないものとして描かれている。王冠を手に入れるために Macbeth は国王を殺し、また王冠を確保するためにBanquo を殺した。Macbeth が発する「不毛な王冠」には、王冠を手に入れたもののそれを継承する子を持たないマクベスの心理状態――苦悩や深い絶望感――が表われている。また、「八人の王の幻影」において、シェイクスピアは、Banquo の子孫が王位を継承するという魔女の予言をMacbeth に確認させるための効果的な道具として、即位の王冠・笏・宝珠を用いている。これらは王位を象徴するものである。八人の王たちは皆黄金の王冠をつけている。「王冠」を用いてシェイクスピアは王位継承問題が王個人にとっても非常に重要な問題であることを示している。このようにMacbeth において王冠は重要であり、Macbeth の王位に対する野望や王位継承に対する深い絶望感が王冠によって象徴されていると結論づけた。
篠崎氏の“An ‘Unsexed’Queen and a ‘Nourish-Father’: Historicising Macbeth” は、性や生殖に関する言語に注目して、Macbeth における、王位簒奪行為への性的能力を奪う悪魔との性交のイメージ使用、子をもたぬ王位簒奪者と王の神秘的身体によって永遠につづく王統の対置、植物のイメジャリー使用による王統からの女性的力の排除を指摘した。Banquo の血筋による王位継承の予言を劇外のジェイムズ1 世の存在によって実現させるこの劇が、劇の言語が示す女性の力の排除という男性的幻想をジェイムズ朝イングランドの現実に向けているとして、君主に「乳を与える父親」という比喩を用いるジェイムズの政治的言説との類似を示した。最後に、Sonnet 107 番におけるエリザベス晩年の不安とジェイムズ戴冠による安堵感の対置と自身の筆の保存力への言及と、イングランド王として戴冠後世継ぎをもつ自身の男性的能力を誇示したジェイムズの政治的言説の類似を指摘し、Macbeth に見られる男性的幻想が、メアリーとエリザベスというふたりの「母親」に苦しめられたジェイムズのそれと似た、女王の統治を経験したイングランド男性臣民とシェイクスピアが共有した幻想であると論を結んだ。
以上の三論は、上演当時の社会における劇の歴史的・政治的・経済的な意味を分析したが、残りの二論は、王政復古期と現代日本における翻案作品を取り上げた劇の受容研究である。
撫原氏の“The Representation of Violence in Davenant’s Macbeth, With Special Reference to the Enlargement of Lady Macduff’s Role” は、William Davenant のMacbeth 改作(1664) におけるMacduff 夫人役が、シェイクスピアの原作に比べ、より重要な役柄となっている点に着目した。Macduff 夫人の登場場面は、改作では5 場面ある。こうしたMacduff 夫人役の拡張は、ふたつのMacbeth のあいだにみられる暴力表象の変化を表す指標となっている。原作においては、「暴力」は男性の強さと勇敢さのシンボルとして表象されており、舞台上の殺人が多数描かれる。改作では、Macduff 夫人が戦争のむなしさを口にする場面が新たに追加されたことに象徴されるように、「暴力」への懐疑心が強調され、原作の殺人場面の多くがその衝撃を緩和する形に書き換えられている。最も注目すべきは、改作のMacduff 夫人役が拡張されたことによって、「家庭」的要素が前景化されていることである。1736 年頃に結成され、主に中産階級の家庭的価値観を代弁したShakespeare Ladies Club の例をはじめ、王政復古期以降、女性は演劇について自らの見解をしばしば公にしていた。この「暴力」から「家庭」への移行には、王政復古期の劇場に多数いた女性観客の嗜好が深く関わったのではないか。セミナー準備段階で「Davenant のMacbeth 改作は後世のMacbeth 批評に倫理的・心理的側面でどの程度影響を及ぼしたか」という問いがMcLuskie 教授から寄せられたが、私的領域の重視という点でこのDavenant 改作の影響は現代に至るまで続いていることを指摘した。
最後に大島の“The Throne of Blood and Kurosawa’s Intertextual and Cross-cultural Transplantationof Macbeth”は、『七人の侍』により好評を博した侍映画のジャンルを生かし、原作を戦国時代日本に移して娯楽映画として古典劇の翻案を図った黒澤の『蜘蛛乃巣城』を取り上げ、その“intertextual” で“cross-cultural” な翻案技法と社会批評について検討した。黒澤の翻案技法は、日本人の潜在的な歴史的・文化的記憶に強く働きかける。特にオープニングと物の怪の場面は、日本人共有の古典的な仏教的無常観(「祇園精舎の鐘の声…」、「国敗れて山河あり…」等)や、山姥伝説や能の伝統を視覚的に織り込み、“intertextual” な含意のネットワークを作り出す。物の怪シーンの視覚的演出は、西洋人には運命の女神を思わせるし、『山姥』や『黒塚』を知る者には罪の連鎖をもたらす仏教的な業を示唆するが、鷲津は屍の山に背を向けてその真意に気づくことは無い。次に黒澤映画は鋭い社会批評をしばしば含む。一の砦から北の館へというより良い住居への転居という形での出世観は、敗戦期を脱して経済発展へ向かう当時のサラリーマン社会への諷刺と見なしうる。黒澤自身が述べたように、Macbeth は、その地位に値しない人間が指導者になったことによる悲劇であり、原作とは異なり、敵との一騎打ちではなく、家来達の無数の矢により最後を遂げる姿は、追い詰められた指導者の最終局面を描いている。力道山や鉄腕アトムなど当時の強いヒーロー像と比較するとアンチヒーローとしか見えない主人公には、舵取りに失敗して「国敗れて山河あり」の状態をもたらした戦争指導者の姿が重なる。『蜘蛛乃巣城』は、今日的意味を帯ながら、シェイクスピア的問いかけに今も新たな命を吹き込んでいる。
各論に対するMcLuskie 教授による含蓄に富む刺激的なコメントの後、教授とメンバー間でディスカッションを行ったが、時間の制約のため、本セミナーのタイトル「歴史的に文化的にMacbeth を読む」とはどういうことかについて主に議論を行った。McLuskie 教授は、劇の一側面を強調することで他の解釈を排除する歴史的読解の一面性を指摘するとともに、劇がさまざまな解釈や翻案を生みだす文化的な空間創出の力を有するという点で、シェイクスピア劇は多くの場合それ自体が翻案であると述べた。シェイクスピアが材源に書きこんだ個人の死後に対する強迫観念は、批評者・演出家・劇作家達の幻想の投影である批評・演出・翻案を絶えず生みだし、それが劇のアフターライフを築いてきたのである。
様々な歴史的・文化的環境を背景として読まれるようになってきたシェイクスピアの国際化の中で、多様なシェイクスピア受容の可能性が生まれていることは好ましいことであるが、同時にローカルな各シェイクスピア解釈の正当性を判断し、見解の一致点を見出すことはますます困難になりつつある。多文化主義的なシェイクスピア研究においては、各受容の独自性を尊重しながらも、感傷や卑俗や独善に堕していないかを批判的に検討する必要性が高まっている。本セミナーは、各論において各時代・地域の歴史や政治や文化を背景とした作品のアフターライフにおけるローカルな意味の正当性を主張するとともに、アプローチ多様化の中での見解の一致点を模索し、Macbeth のアフターライフの多様性を確認したということになろう。
最後に、ご多忙の中、McLuskie 教授よりセミナーに関する総括的コメントを頂戴したのでそれを引用して報告を終える。このような有意義な国際的なセミナーのコメンテイターをお務めいただいたMcLuskie 教授、本セミナー実現のために尽力された楠会長を始めとする協会委員の方々、平日の夜にもかかわらず遠路ご参集頂いた聴衆の方々にこの場をお借りして改めて御礼申し上げたい。
The papers themselves raised important questions about the play and displayed the full range of methodologies that are currentlybeing employed in Shakespearestudies. Yoshika Miura and Eiko Aso engaged in historically informedclose-readings of the play’s imagery to explore its dramatic and poetic treatment of clothing and kingship.
In both cases those key images con-tribute to the poetic texture of theplay and also extend a reader’s at-tention to the wider world in which the play was written, the world of merchant capitalism and the world where political anxieties about thesuccession are dramatised in both political and psychoanalytic terms.
The role of Lady Macbeth clearly inflects the politics of the playin the direction of psychoanalysis.Her puzzling reminder of her mater-nal role, together with the images ofthe bloody babe and Macduff’s mur-dered child, suggests a keen aware-ness that succession depends notonly on political considerations butalso rests on procreation. This themewas taken up by Professor Shino-zaki’s analysis that addressed the evidence for and the implications ofJames’s political rhetoric that ad-dresses an attachment to his two mothers . Queen Elizabeth and Mary Queen of Scots.
These three papers raised the key question for historicist readingsof Shakespeare which is how far thepatterns of imagery (both poetic and theatrical) depend upon external historical significances and how farthey are part of the play’s aestheticsurfaces, creating dramatic effect or narrative coherence. The shiftingdepth of focus that can link the play to the meta-narratives of feudalism and capitalism, the political concernsof divine right and the preoccupa-tions of King James himself requires a critical and artistic virtuosity thatmay be attributable more to Shake-speare’s reputation than to the original conditions of production andconsumption of the play itself. The capacity of historicist method to make the play speak of ideas thattranscend its narrative and dramatic limits may be a tribute to Shake-speare’s virtuosity but it may alsoindicate the critical needs of modern times for a serious engagement with the political process and its failure toconnect with the private sphere ofhuman sexual and familiar relations.
The critical relationship be-tween the original conditions of Shakespeare production and subse-quent adaptations also preoccupiedthe papers given by Hanako Nadehara . who wrote on Davenant’s adaptation of Macbeth . and Hisao Oshima . who addressed the appro-priation, or as he calls it ‘transplan-tation’, of Kurosawa’s Throne of Blood. Hanako Nadehara gave a fullaccount of the changes that Dave-nant made in his adaptation and emphasised their effect in creating out of Lady Macduff a strong woman who was also virtuous. The resulting version of the play strengthened theopposition between Lady Macduff and Lady Macbeth in moral terms creating a contrast between violenceand domesticity. The resulting ethi-cal schema influenced a good deal of subsequent criticism of the play, even when the original text was restored later in the eighteenth century. Davenant’s adaptation can be seen as an early example of the process bywhich play texts are remade by a critical discourse that subsumes narrative and theatrical features within an ethical framework.
The power (and danger) of that critical discourse is that it can render all the idiosyncracy of the plays and their performances into a powerful abstract scheme that assimilates even the most distinct and different examples of similar stories. As Pro-fessor Oshima’s paper demonstrates,the connection between Kurosawa’s film and Shakespeare’s play was powerfully insisted upon by western critics who read Shakespearean mo-tifs and preoccupations onto the film’s essentially Japanese elements and preoccupations. In a seminar devoted to Shakespeare it was im-portant to be reminded that Shake-speare’s infinite adaptability should not make us see his influence at the expense of equally vibrant and sig-nificant theatrical and representa-tional traditions.
Under Professor Oshima’s and Professor Shinozaki’s leadership, the seminar set itself the ambitious goal of debating the question of whatreading Macbeth historically and culturally entails. As this brief summary of the papers indicates, the seminar answered its own question by paying close attention to the play’s language and theatricality, by con-necting those formal features to their wider historical implications in theeconomic and politics of the early modern-period while never losingsight of the psychic dimension of the action undertaken by the charactersin the narrrative. That attention to the original production and con-sumption of the play is greatly en-hanced by attention to later adapta-tion and transplantation. Those activities . that have, after all, con-stituted the greater part of the play’slife since the seventeenth century .show how the play is remade in thedialectical relationship between its text and its afterlife. However, the dominance of Shakespeare in west-ern culture should not allow the shadow of Macbeth to blot out the creativity and particularity of cul-tural production in other culturesand in other historical periods.
第46回 シェイクスピア学会
2007年10月 日( )・ 日( )
早稲田大学キャンパス(県市区)において
開催予定
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