シェイクスピア学会
1998年10月24日(土)/25日(日)
会場:東京大学 駒場キャンパス
(〒153-8902 東京都目黒区駒場 3-8-1)
主催:日本シェイクスピア協会
案 内
* 会場へは、渋谷駅より「井の頭線」の「普通」(各駅停車)で2駅目、「駒
場東大前」下車となります(「急行」は停まりませんのでご注意下さい)。
* 学会の開会式および講演は「13号館」、研究発表とセミナーは「12号館」で
行なわれます(巻末の「駒場キャンパス案内図」参照)。
* 受付は「13号館」のホールで開会の 30分前から始めます。本年度会費未納
の会員と新入会員の方は 8,000円(学生会員は 5,000円)をお支払い下さい。
* 講演は一般公開です。研究発表、セミナーへの参加は会員に限られますが、
会員の紹介があれば一般の方も出席できます。
* 懇親会へのご出欠を同封のハガキで9月30日までにお知らせ下さい。ご家族、
ご友人のご同伴を歓迎します。なお、懇親会会費は当日(10月24日)あらか
じめ学会会場受付にて申し受けます。
* 25日(日)の昼食についても、お弁当(\1,000)の要不要を上記ハガキでご
返信下さい。
* 24日(土)、25日(日)の学会当日の連絡先は、電話 050-462-8370 となり
ますが、緊急の場合に限って下さい。
* 研究発表およびセミナーに参加される方へ
ハンドアウト等の資料は、あらかじめ十分な枚数をご用意下さい。不足分が
出ても会場校では複写することはできません。また、資料を前もって会場校
に送ることは、混乱を生じる場合がありますのでご遠慮下さい。
日本シェイクスピア協会
〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台2-9 研究社ビル501
Phone/Fax 03-3292-1050
振替口座 00140-8-33142
プ ロ グ ラ ム
10月24日(土)
13:00[13号館2階 1323]
開会の辞 日本シェイクスピア協会会長 玉泉八州男
挨 拶 東京大学大学院総合文化研究科長 大森 彌
臨時総会
フォーラム
14:00 研究発表
第1室[12号館1階 1212]
司会:九州大学教授 徳見道夫
1.王政復古期の喜劇と「伝達」のレトリック
東京大学大学院博士課程 阿部曜子
2.シコラックスは語れるか
──複数の「テンペスト」、複数の「アメリカ」
東京都立大学助教授 本橋哲也
司会:東京女子大学教授 楠 明子
3.Albany, Cornwall, and British History
in the Quarto of King Lear
早稲田大学専任講師 Anthony Martin
4.Pandosto Riseth Up:
Shakespeare Remembers Robert Greene
津田塾大学専任講師 Julia Griffin
第2室[12号館1階 1213]
司会:桃山学院大学教授 金城盛紀
1.As You Like It におけるpassionとdisguise
──3幕2場のLove-cureの場面を読む
東京学芸大学非常勤講師 岩田道子
2.『尺には尺を』のメタファー表現について
奈良女子大学助教授 西出良郎
司会:早稲田大学教授 大井邦雄
3.『冬物語』の語り手たち
東京医科歯科大学助教授 前沢浩子
4.市民喜劇の言語と劇構造
──『ウィンザーの陽気な女房たち』を中心に
東京工業大学専任講師 由井哲哉
第3室[12号館1階 1214]
司会:神戸松蔭女子学院大学教授 田中雅男
1.「クローディアスの日記」と志賀直哉の『ハムレット』批評
大谷大学特別研修員 芦津かおり
2.John Websterと共同創作劇作法
──A Cure for a Cuckoldへの道筋
関西学院大学大学院博士課程 林田 豊
司会:中央大学教授 金子雄司
3.『ハムレット』のフォーティンブラス
──典拠、作者の意図、そして本文
一橋大学教授 山田直道
4.ガートルードの変容──姦通説への疑義
広島修道大学教授 熊谷次紘
17:30〜19:30 懇親会
会場:東京大学駒場キャンパス内「生協食堂」2階
(巻末の「案内図」をご参照下さい)
会費:5,000円
10月25日(日)
10:00 講演[13号館2階 1323]
司会:玉泉八州男
人間はシャボン玉──16世紀から19世紀までの図像の推移
明治大学教授 森 洋子
エラスムスの『格言集』(1500年)に収録された「人間は泡沫なり」(homo bulla) という諺は、16世紀前半からステンドグラスや寓意版画などで、シャボン玉遊びをする子供の姿によって表現されるようになる。一瞬の輝きの後に消失する「シャボン玉」は人間の生命だけでなく、青春、美、富、権力、名声などの「空しさ」の格好な寓意とみなされたからである。17世紀以降、シャボン玉は、頭蓋骨、花、時計、楽器、煙、宝石、豪華な家具・調度品などのウァニタスのモチーフとともに、静物画、風俗画、肖像画のジャンルにおいてもポピュラーとなる。しかしその寓意性は時代とともに、少しずつ、変化して行った。
11:30〜13:00 昼食
会員控室(12号館2階 1225)でお弁当をお受け取り下さい
13:00〜16:00 セミナー
セミナー1[12号館1階 1212]
世界(非英語圏)のシェイクスピア
司会:南 隆太(神戸市外国語大学助教授)
メンバー:伊勢村定雄(文教大学非常勤講師) 川地美子(杏林大学教授) 末松美知子(群馬大学専任講師) 鈴木雅恵(大阪商科大学専任講師)
セミナー2[12号館1階 1213]
英国ルネサンス期の女性作家たち
司会:上野美子(東京都立大学教授)
メンバー:安達まみ(聖心女子大学助教授) 小塩トシ子(フェリス女学院大学教授) 小柳康子(実践女子大学教授)
コメンテイター:加藤光也(東京都立大学教授)
セミナー3[12号館1階 1214]
『ヴェニスの商人』を読む
司会:小野俊太郎(成城大学非常勤講師)
メンバー:石原万里(福島工業高専専任講師) 柏木恵子(青山学院大
学非常勤講師) 丹羽佐紀(鹿児島大学助教授) 正岡和恵(成蹊大学助教授)
セミナー4[12号館2階 1222]
グローブ座再建
司会:市川真理子(茨城大学助教授)
メンバー:太田耕人(京都教育大学助教授) 尾崎 寔(同志社女子大
学教授) 小林潤司(鹿児島経済大学専任講師) 下館和巳(東北学院大学教授) 藤田 実(関西大学教授)
[資料]
研究発表要旨
王政復古期の喜劇と「伝達」のレトリック
東京大学大学院博士課程 阿部曜子
王政復古期の喜劇に欠かせない「ニュース(消息、噂話)」には、当時の劇作家や観客の、情報漬けともいえる生活が反映されている。舞台上に演出される噂話は、「共有」を前提とし特権的な発話者を排するという、いわば特有の様式化をへているわけだが、開かれたコミュニケーションの場さえあれば、真理は自ずと明らかにされるという楽観的な経験論を打ち立てたトマス・スプラットの例などに見られるように、情報伝達を善とし、逆に密室で生まれ、隠語で語られる閉鎖的な知を悪とするレトリックは、同時代の宗教、政治、哲学上の論争の一端を担うものでもあった。このようなレトリックを支える「伝達・連絡」対「密閉」の空間的想像力が舞台上ではどのように機能しているのか、また、情報伝達の形式が舞台をどのように秩序づけているのか、ウィリアム・ウィチャリーの『田舎女房』などの例を中心に論考したい。
シコラックスは語れるか──複数の「テンペスト」、複数の「アメリカ」
東京都立大学助教授 本橋哲也
『ザ・テンペスト』には、キャリバンを仲立ちとして、植民地的主従関係を越える稀有な瞬間が存在するが、この劇における解放的な契機は一時的なものにすぎず、そのネイティヴィズムは、あくまで束の間の領有、転覆の戦略に止まる。このようなキャリバンの反抗と挫折の系譜を、20世紀の「アメリカ」という文化の脈絡で捉え直すことが、この発表の目的である。主に3つのテクスト──ホセ・エンリケ・ロド『エアリアル』、エメ・セゼール『ア・テンペスト』、マリナ・ウォーナー『インディゴ』──を、シェイクスピアの原作との比較において読解することを通じて、ポストコロニアル状況における文化や歴史の再構築、異なる要素の混淆プロセスとしての主体構築のあり方、「文化相対主義」の見直し、「ネイティヴィズム」と「クレオリテ」、ジェンダー関係を軸とした語りの可能性、ことに女性の身体を介した物語の掘り起こし、といった問題を考えていきたい。
Albany, Cornwall, and British History in the Quarto of King Lear
早稲田大学専任講師 Anthony Martin
In the Quarto True Chronicle Historie of King Lear (1608) the final speaker in the play is the Duke of Albany, but in the Folio Tragedie of King Lear (1623) these closing lines are given to Edgar. This change, and a number of other differences between the Quarto and the Folio texts, have the effect of dehistoricizing and universalizing the story. Shakespeare took this story of Lear and his daughters from the legendary British history, as recounted in numerous literary texts in Renaissance England, and when the play, especially in the Quarto version, is seen within the context of other treatments of British prehistory, such as Gorboduc or Locrine, certain concerns with localized history and the geographical location and limits of the nation emerge. In particular, a localized and geographically insular notion of the law can be seen as central to the play in its first published text. Thus, while the Quarto King Lear may not be as sublimely tragic as the Folio, or conflated versions of the play, it can be considered as a distinct entity with relevance to the period of its original production.
Pandosto Riseth Up: Shakespeare Remembers Robert Greene
津田塾大学専任講師 Julia Griffin
This paper aims to consider and associate two facts usually treated in isolation: first, that in 1592, a posthumously published work by Robert Greene, author of plays, novellas, and pamphlets, makes what seems to be the first recorded reference to Shakespeare in London─a reference that has intrigued and sometimes disquieted critics by its helpless bitterness; second, that in 1610/11, Shakespeare wrote a play based on one of Greene's novellas, transforming it, and particularly its ending, into something very different. The very disparate literary work produced by Greene in his lifetime provided one kind of legacy; the flamboyant "repentances" that appeared after his death, and the various reactions evoked by his supposed degradation into poverty and squalor, provided a vivid personal image. Both of these, I suggest, leave traces in some of Shakespeare's other plays, and provide a way of understanding the late, transfigured revival that is The Winter's Tale.
As You Like Itにおけるpassionとdisguise
──3幕2場のLove-cureの場面を読む
東京学芸大学非常勤講師 岩田道子
As You Like Itのなかで最も長く、主要な場面だと思われる3幕2場、特にlove-cureの場面に注目したい。男装したロザリンドがオーランドーに恋煩いの治療を申し出る場面で、助言によって恋狂いを治してあげようという悠長さとそれが恋狂いを本物の狂気にすることとどうして結びつくのか、あるいは結びつかないのか、passsionとdisguiseという2つのキーワードを手がかりに読み解いてみる。異性装することによる性のゆらぎ、ヒロインとヒロインを演じる少年俳優、観客の幻想の反映としの喜劇の背後にselfとidentityの不安定さがうかがえよう。デカルト的なアイデンティティを否定するLloyd Davisの論を援用して、As You Like Itというすべてが相対化された世界のなかでfigurativeなものの行使する演劇的な力について考えてみたい。サティリカルなものの流行という時代の流れはたくまずしてAs You Like Itのなかに入り込んでいると言えないだろうか。
『尺には尺を』のメタファー表現について
奈良女子大学助教授 西出良郎
シェイクスピアの戯曲言語にあらわれるメタファー表現は、スパージョン以来、それを用いる人物の主体との関わりで論じられるよりも、劇全体の主題との関わりで論じられることが多いように思われる。たしかに、主要人物から端役に至るまで多くの人物の台詞に普遍的にあらわれるメタファーがあり、そうした普遍的メタファーの表現主体は、個々の登場人物である以上に、劇全体を統括する作者であるようだ。ただ、個々の台詞のメタファー表現をみると、その人物のおかれた状況や主観と密接に関わる場合がほとんどであり、普段われわれは人物の背後にいる作者を意識することはない。
しかし、時には、語り手の意図と、メタファー表現がもたらす効果がしっくり整合しないと感じられる場合もある。『尺には尺を』ではその種の不整合が少なからず見られるように思われる。そのような側面から、問題劇の言語の特徴を考えたい。
『冬物語』の語り手たち
東京医科歯科大学助教授 前沢浩子
『冬物語』は冬の晩に暖炉の周りで語られる昔話の「語り」の構造を内側に組み込んでいる。時間と空間が果てしなく拡散していくロマンスという物語世界に対し、それを伝える媒介となる語りという虚構は、それ自体が固有の時間を持たない瞬間的な言語だ。粉本『パンドスト』の語り手は、自在に気ままに時空を超えて読者を物語世界に案内する。その語り手が時間と空間が制限された舞台に現われたとき、「時」という役名を与えられる。この「時」だけでなく、物語世界に注釈と教訓を与えるポーライナや、パーディタ発見を伝える名もない紳士たちが、「昔話のようだ」と繰り返しながら物語世界を語る。生と死、シシリアとボヘミア、過去と現在に隔てられた家族が再会するという、不可能が可能になる物語世界では、不思議な出来事を引き受けている当事者は言葉を失い、彼らの演劇的自意識は希薄になり、代わりに雄弁な語り手たちが物語を引き受けている。
市民喜劇の言語と劇構造
──『ウィンザーの陽気な女房たち』を中心に
東京工業大学専任講師 由井哲哉
『ウィンザーの陽気な女房たち』4幕1場は、本筋とは無関係な文法レッスンの場であり、Q版にはなかったことから、その存在意義についてこれまでさまざまな憶測を呼んできた。だが、この場面を、作品全体に見られる多様で特異な言語スタイルとの関連で見直すと、この芝居の新たな面が見えてくるように思われる。特にエヴァンス神父の用いる二重翻訳の方法が彼自身の訛とクイックリー夫人の茶化しによって脱線してしまうプロセスは、何かの葛藤が起きてもすぐ脱線し、いつのまにか立ち消えになってしまうこの芝居のアクションと通じ合っている。
本発表では、この4幕1場を足がかりに、これまでガーター勲章儀礼など文化的側面から論じられることの多かったこの芝居を、市民喜劇の言語と劇構造という側面から見直してみたい。
「クローディアスの日記」と志賀直哉の『ハムレット』批評
大谷大学特別研修員 芦津かおり
志賀直哉の短編「クローディアスの日記」(1912)は、帝国劇場における坪内逍遙の『ハムレット』公演(1911)を契機に生まれた。同公演で受けた感想に基づいて志賀は、ハムレットの英国への追放に至る経緯を、無罪のクローディアスの視点から日記形式に綴りあげる。志賀の日記や書簡が示すように、彼の本作執筆の目的は、自己の文学の糧として『ハムレット』を摂取・利用することより、むしろ世間の『ハムレット』批評に一石を投じることにあったと思われる。多元文化主義の流行する昨今、本作を「異文化圏のシェイクスピア」の系譜に位置づけ、その文脈で論じる研究も増えてきた。しかし、その大半は作品紹介や原作との異同の確認にとどまり、志賀が狙いとした『ハムレット』批評の側面は見落とされがちである。発表では「創作余談」や書簡なども参照しながら、本作の体現する志賀『ハムレット』批評の特質や意義、限界について考察したい。
John Webster と共同創作劇作法
──A Cure for a Cuckoldへの道筋
関西学院大学大学院博士課程 林田 豊
John Websterの劇作法について考える時、The White DevilとThe Duchess of Malfi以外の彼の作品にも目を向ける必要がある。20年以上に渡る彼の劇作の大半を共同執筆による作品と悲劇以外の劇が占めるのだから、彼を悲劇作家としてだけ評価することはできない。Thomas Dekkerとの共同執筆によるHo劇、また彼の最後の独自の作品The Devil's Law-Caseには諧謔がふんだんにある。
1625年頃のWilliam Rowleyとの共同執筆によるA Cure for a Cuckoldでは、それまでの彼の作品にみられた劇作法が熟したと言える。愛する女に親友の殺害を命じられる男という、少し使い古された感のあるモチーフを用いながらも、一夫一婦制の普遍性という概念を覆すsub-plotを見事に織り交ぜ、この劇は全く新しい観劇体験の場をつくり出す。剽窃と独創性のきわどいバランスをとるWebsterの、多面的な劇作法の理解への一つのアプローチとして、この作品を考察してみたい。
『ハムレット』のフォーティンブラス
──典拠、作者の意図、そして本文
一橋大学教授 山田直道
シェイクスピアの本文批評やテクスト編纂問題を検討する際に、作者の意図(authorial intention)を良く表わしている本文はどれかという議論がなされるが、いずれの場合も本文研究や本文編纂研究などの範囲での議論にとどまっているように思われる。『ハムレット』の場合もQ1、Q2、F1の三つのsubstantive textの成立背景や相互関係が様々に議論されているが、本文に対する作者の意図は当然のことながら本文批評やテクスト編纂との関連で追究されてきた。しかし、作者の意図は作品を典拠と比較する材源研究からも得られるのではないかと考え、Saxo及びBelleforestとシェイクスピアとの比較から明瞭に作者の意図を体していると思われるフォーティンブラスを取り出して三つの版本に当てはめ、各版本がその意図された人物像にどの程度忠実かを調査することによって、作者の意図を最も良く表わす本文は何かを検討してみたい。
ガートルードの変容──姦通説への疑義
広島修道大学教授 熊谷次紘
ガートルードには近親相姦の罪に加えて、姦通の罪もあるとする説が、不思議にも今日の主要な版ではすっかり主流になっている。ブラッドレー、J.D.ウイルソン、ジェンキンズと続くこのガートルード姦通説は、大方のテキスト編者の支持を得て今日に至っているが、それは正しいと言えるかどうか検証する。彼女に姦通の罪があるか否かは、ハムレットの台詞、"Frailty,thy name is woman!" の中味にも関わる問題であるが、この説に大きな疑義を挟む立場で、ソースとの関連も踏まえつつ、特に劇中劇に一つの焦点を当てて論じてみたい。シェイクスピアはおそらく彼女をベルフォレ以降の姦通して改悛する女から、主人公の心に深い傷を残す母、貞潔そのものに見えて夫が死ぬや異常な速さで二夫にまみえた女へと、描写のポイントを大きく移して描いたのである。
セミナー指針
セミナー1
世界(非英語圏)のシェイクスピア
司会:神戸市外国語大学助教授 南 隆太
D. KennedyのForeign Shakespeare (1993)によく現れているように、英語以外の言葉で上演されるシェイクスピアへの関心が近年高まっている。日本のSh上演に対する海外の関心も高く、英語による論文集もいくつか出版さているのは周知の通りである。しかしKennedyの論集の中で扱われているのはほとんどがヨーロッパのSh上演であること、あるいは日本の上演を論じる際にはどうしても日本の特殊性を強調しがちであることを考えると、アジアなど他の地域のSh上演にも目を向ける必要があるように思えてくる。例えば日本のSh上演を他の文化圏の翻訳・翻案上演と比較すること、あるいはKennedyの論集で論じられなかった問題を考えることは、意味のあることではないだろうか。本セミナーでは、日本のSh上演をアジアを中心とする非英語圏というコンテキストにおいてどのように考えることができるのか?また近年見られるアジアを始めとする非英語圏で活躍する演劇人と日本の演劇人との共同作業によるSh上演はどのように考えることができ、またそこにどのような可能性が期待できるのか?といったことを中心に、非英語圏のSh上演の提示する問題を、具体的例を交えながら議論してみたい。
セミナー2
英国ルネサンス期の女性作家たち
司会:東京都立大学教授 上野美子
1980年代以降、いわゆる「キャノン」の見直しが行なわれるようになり、マージナルな女性作家にも照明の当てられる傾向が目立っている。このセミナーは、女性のライターが職業作家として公認されていなかった英国ルネサンス期に焦点を合わせ、その可能性と限界を検討しようという初の試みである。
宗教と女性の自己実現との関わりを、1546年に処刑されたAnne Askewの尋問記録に基づいて考察したり(小柳)、文人のパトロンで創作・翻訳家として活躍したMary Sidney, Countess of Pembrokeの功績(小塩)、英国最初の女性劇作家という栄誉をになう、Elizabeth Caryのcloset dramaの位置づけ(上野)、フォリオ版の戯曲集を出版したMargaret Cavendishの作家としての自己意識(安達)などを討議する予定である。コメンテイターの加藤氏も随時、話し合いに加わることになっている。
セミナー3
『ヴェニスの商人』を読む
司会:成城大学非常勤講師 小野俊太郎
今回のセミナーの目的は、なるべく多くの論点を提出することで、『ヴェニスの商人』の多彩な読みを試みることです。このテクストには「人種」「ジェンダー」「階級」にまつわる問題、「法」や「経済」という社会システムなど、注目すべき点がたくさんあります。とはいえ、セミナーでの軸は、「ポーシャ」「シャイロック」「アントーニオ」に絞られてきましたし、まだ議論の途中で流動的ですが、「遺言と欲望」「毒と嫁資」「財産の回収と改宗」「絆と契約」「男性性の構築」といったキーワードによって論が組み立てられつつあります。「人肉裁判」の場面ばかりでなく、「箱選び」あるいは「指輪交換」の場面にも光が当てられるはずです。当日はフロアーからの意見も積極的に取り入れて、セミナーを進行したいと考えています。また、セミナー終了後、請求があれば資料や議論の一部を電子メールで配布できればと思っています。
セミナー4
グローブ座再建
司会:茨城大学助教授 市川真理子
ロンドンのバンクサイドに再建された新グローブ座は、シェイクスピアのグローブ座はこのようなものであっただろうという一つの可能性を示すものである。このような構造の劇場において、当時の俳優たちはその舞台をどのように使ったのか。彼らの舞台上の動きは当時の観客の目にどのように映じ、また、その動きは舞台構造に支えられて、いかなる意味を持ち得たのか。さらに、現代の劇場では受け入れ難い舞台上の状況などを当時の観客に難なく受け入れさせていた要素は、劇場構造や演技のしかたにも求められるだろうか。つまり、グローブ座をはじめとする当時の公衆劇場で起こり得たと考えられる上演や演技の形とそれに対する観客反応のありようを、具体的にいくつかのシーンを取り上げて考えてみたい。
10月24日(土) 10月25日(日)
開会式 13号館2階 1323 講演 13号館2階 1323
臨時総会・フォーラム 同上 セミナー
研究発表 第1室 12号館1階 1212
第1室 12号館1階 1212 第2室 同 1階 1213
第2室 同 1階 1213 第3室 同 1階 1214
第3室 同 1階 1214 第4室 同 2階 1222
懇親会 生協食堂2階 昼食 12号館2階 1225
会員控え室・休憩所
12号館2階 1225