シェイクスピア学会

44回シェイクスピア学会

 

2005年10月9日(日)/10日(月・祝日)

会場:日本女子大学 目白キャンパス

(〒112-8681 東京都文京区目白台2-8-1 )

 

主催:日本シェイクスピア協会

 

案内第一日目第二日目資料会場案内

 

 

案内

 

・受付は成瀬記念講堂ロビーで開会の30分前から始めます。本年度会費未納の会員と新入会員の方は8,000円(学生会員は5,000円)をお支払いください。

 

・今回は事務局を通して宿泊の斡旋は行いません。混雑が予想されますので、早めに東京に宿泊を予約されることをお勧めします。

 

9日の懇親会にご出席になる方は、同封の懇親会用振込用紙で、9月26日(月)までに会費をお送りください。懇親会費は7,000円です。ご入金を確認次第、「申込確認ハガキ」をお送りします。懇親会へはご家族、ご友人のご同伴を歓迎します。

 

・日本女子大学目白キャンパスの周辺には、食堂やコンビニ等はありません。10日(月)の昼食については、事前にお弁当の申し込みをされるか、ご持参ください。

 

・パネル・ディスカッションは一般公開です。研究発表、セミナーへの参加は会員に限られますが、会員の紹介があれば一般の方も出席できます。

 

 研究発表およびセミナーに参加される方へ

ハンドアウト等の資料は、あらかじめ充分な枚数をご用意ください。不足分が出ても会場校で複写することはできません。また、資料を前もって会場校へ送ることは、混乱を生じる場合がありますのでご遠慮ください。

 

  日本シェイクスピア協会

   〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台2−9 研究社ビル501
   Phone/Fax 03-3292-1050  振替口座 00140-8-33142

 

 


第一日目 109日(

 

13:00[成瀬記念講堂]

   開会の辞   日本シェイクスピア協会会長        楠 明子

   挨拶      日本女子大学文学部長              森田安一     

   臨時総会  

   フォーラム

 

 

14:00−17:00 研究発表

 

 

1室[百年館低層棟301講義室]

司会:関西外国語大学教授 今西雅章

 

  1.19世紀シェイクスピア絵画に見る男装のヒロイン

               ―ジェンダーと生物学的性差の観点から

神戸女学院大学大学院博士後期課程 高木範子

 

  2.鏡のイメージで読む『十二夜』―エコーとナルキッソス達

敬和学園大学助教授 金山愛子

 

 

司会:関西学院大学教授 小澤 

 

  3.パラス誕生―『ゴーボダック』の黙劇と助言の作法

鹿児島国際大学助教授 小林潤司

 

  4.ルーシオウの悪ふざけ―『尺には尺を』における裁きと認識

金沢大学教授 高田茂樹

 

 

第2室[百年館低層棟302講義室]

司会:大阪大学名誉教授 齋藤 

 

  1.ジョン王をめぐる二つの劇・反乱のテーマを考える

プール学院大学助教授 李  春美

 

  2.祈りのドラマツルギー―『リチャード三世』における宗教と政治

九州大学教授 村井和彦

 

 

司会:日本女子大学助教授 佐藤達郎

 

   3.The Tragedy of Hoffman とエリザベス朝末期の王位継承問題

早稲田大学大学院博士後期課程 本多まりえ

 

  4.Perkin Warbeckにおける詩の真実

岩手県立大学盛岡短期大学部助教授 石橋敬太郎

 

 

第3室 [百年館低層棟206講義室]

司会:広島大学教授 中村裕

 

  1.ある未亡人の変容―王政復古期のWebster改作劇とエロティックな描写

お茶の水女子大学大学院博士後期課程 撫原華子

 

  2.〈不在〉を読む―The Island Princessにおける東インド表象

専修大学教授 末廣 

 

 

司会:明治学院大学名誉教授 大場建治

 

  3.『ローマの俳優』における範例的寓意表現―劇中劇の破綻は何を表象するか

東京大学大学院博士課程 内丸公平

 

  4.英国国教会Homiliesと『テンペスト』

帝京大学助教授 郷  健治

 

 

第4室 [百年館低層棟207講義室]

司会:千葉大学助教授 篠崎  実

 

  1.女王をもてなす―宮廷劇としての『恋の骨折り損』

埼玉工業大学専任講師 米谷郁子

 

   2."What see'st thou in the ground?"

              ―裸体と風景、あるいはエピリアの読者について

お茶の水女子大学助教授 清水徹郎

 

 

 

 

18:0021:00  懇親会

 会場:日本女子大学 目白キャンパス

 桜楓2号館 4階多目的ホール

 会費:7,000

 

 


第二日目 10月10日 (月・祝日)

 

 

10:00−12:30 パネル・ディスカッション [成瀬記念講堂]

 

「日本におけるシェイクスピアの翻訳と受容」

 

司会:   筑波大学教授 加藤行夫

 

パネリスト:日本女子大学専任講師 Daniel Gallimore

             東京大学助教授 河合祥一郎

             京都大学名誉教授 喜志哲雄

             翻訳家、演劇評論家 松岡和子

 

パネル・ディスカッション指針
 わが国で最初にシェイクスピア劇が翻訳されてすでに120余年、明治から大正を通過した坪内訳、昭和の小田島訳、平成に完結を見る松岡訳といった全訳をはじめ、個別作品の翻訳のかずかずは優に200を超え、いまなお絶えることなく刊行され続けている。
 かくも常に新訳が試みられてきたのは、時代がそれを要求しているからだろう。翻訳は、もはや言葉遣いや文体の手直しといったレベルに留まるものではなく、広く文化やイデオロギーの変遷とともに作品そのものの新たな解釈を迫る。翻訳すること(translation)は、変容させること (transformation)。シェイクスピアの作品を翻訳するのではない、翻訳によってシェイクスピアの作品が創造されるのだ。
 この大きなテーマについて、理論と実践の両面から豊かに語ることのできる格好のメンバーに登場願えることになった。坪内逍遙や福田恆存の翻訳に関して貴重な研究を重ねるダニエル・ガリモア氏、『ハムレット』の新解釈で世を驚かせ、次々と新訳を掲げる河合祥一郎氏、世界を舞台に、近年は Shakespeare in Japan を上梓した喜志哲雄氏、蜷川シェイクスピアを支えつつ、全訳の偉業達成目前の松岡和子氏と、その多彩(多才)な活躍は限られたスペースでは紹介し尽くせない。
 この錚々たるパネリストを揃えたことで司会の責務は大半終えており、あとは沈黙、せめて議論の道筋を狭めずに、それぞれの自由闊達な語りに任せたい。シェイクスピアの翻訳はいかになされてきたか。翻訳はどうあるべきか。出版物としての翻訳は上演台本と同じなのか、違うのか。実際の舞台から発見される新たな訳、あるいは、翻訳するなかで発見されるシェイクスピアの新たな読み──。 (文責・加藤)

 


12:30−13:30  昼休み

 

 

13:30−16:30  セミナー

 

セミナー1 [百年館低層棟206講義室]

 殉教史とエリザベス朝演劇 

     コーディネーター:井出  新(フェリス女学院大学教授)

     メンバー:森祐希子(東京農工大学助教授)

                山田雄三(大阪大学助教授)

     ゲスト:小野功生(フェリス女学院大学教授)

     コメンテーター:玉泉八州男(帝京大学教授)

 

セミナー2 [百年館低層棟301講義室]

 書誌学・本文研究の現在

     コーディネーター:英  知明(慶應義塾大学教授)

     メンバー:池田早苗(慶應義塾大学大学院博士後期課程研究生)
        住本規子(明星大学教授)

        長瀬真理子(九州大学大学院博士後期課程)

 

セミナー3 [百年館低層棟207講義室]

 『テンペスト』を読む

     コーディネーター:大島久雄(九州大学助教授)

     メンバー:勝山貴之(同志社大学教授)  

        高森暁子(筑紫女学園大学専任講師)

        古屋靖二(西南学院大学教授) 

        松田幸子(筑波大学大学院博士課程) 

        道行千枝(福岡女学院大学短期大学部専任講師)

 

 


資 料

 

研究発表要旨

 

 

19世紀シェイクスピア絵画に見る男装のヒロイン

               ―ジェンダーと生物学的性差の観点から

神戸女学院大学大学院博士後期課程 高木範子 

 シェイクスピア劇は時代により様々な変容を遂げて現在に受け継がれてきたが、シェイクスピア作品を描いた絵画も同様に時代により描かれ方が異なる。本論の目的は、シェイクスピアの男装のヒロインがヴィクトリア朝絵画の中でどのように解釈し直され、表現されたのかを考察することにある。一般にシェイクスピアの男装したヒロインは、女性であるがゆえに社会に抑圧されてきた部分を男性の衣服をまとうことにより表に出すことができ、変装は女を男にするのではなく啓発された女にすると言われている。しかし19世紀絵画においては、啓発された女とはほど遠いイメージを持つ男装のヒロインが描かれた。本論では、ジェンダーと生物学的性差の観点から、男装のヒロインが他の時代より女性らしく、また幼く描かれている段階を追って分析し、これらの絵画が19世紀英国社会によっていかに利用され、その結果どのような社会的利害が生み出されたのかを検証する。

 

 

鏡のイメージで読む『十二夜』―エコーとナルキッソス達

敬和学園大学助教授 金山愛子

 ルネッサンス期にガラス製鏡の製作が発展し、エリザベス女王は特別な関心を鏡に抱いていたと言われている。本発表ではそのような鏡のイメージを取り込んだ作品として『十二夜』を読んでいきたい。冒頭で、オーシーノーは恋に苦しむ自分自身を、欲望という名の猟犬に追われる鹿に喩える。この喩えから、『十二夜』と繋がりのある神話として、『変身物語』の「アクタイオン」が言及されることが多い。確かにこのセリフに限って言えば、アクタイオンの物語が想定されていることは明らかであろう。しかし、『十二夜』全体の根底にある神話のイメージは、同じ『変身物語』の「エコーとナルキッソス」のイメージではないだろうか。ヴァイオラを特にマルヴォーリオに代表されるナルキッソス達の間に送られたエコーとして、『十二夜』の登場人物達をエコー(聴覚的反射)とナルキッソス(視覚的反射)を体現するものとして作品を理解し、M.O.A.I.の一つの解釈を試みたい。

 

 

パラス誕生―『ゴーボダック』の黙劇と助言の作法

鹿児島国際大学助教授 小林潤司

 『ゴーボダック』が法学院インナー・テンプルの降誕祭祝典 (1561/2) の余興として初演された際、この特殊な文脈の中で享受されることによって、今日悲劇だけを切り離して読んでも汲みとることが困難な特定の意味を発信したらしいことが、近年の研究から明らかになってきた。個々の部分は、容易に一意的な解釈を許さない「謎」として提示され、他の部分と、もしくは部分の集積としての全体と、相互参照されることではじめて特定の意味を生成するという祝典の仕掛けを踏まえて、この悲劇を読み直してみて再確認できることは、この作品自体が実は、これと共通する構成原理にもとづいて形づくられているという事実である。意味の確定を遷延することによって示される、解釈を行なう享受者の主体性を尊重しているかのような身ぶりは、芸術的な技巧である以前に、絶対的な権力者の輔弼の任に当たる臣下が当然心得ておくべき助言の作法の実演として理解されなければならない。

 

 

ルーシオウの悪ふざけ―『尺には尺を』における裁きと認識

金沢大学教授 高田茂樹

 本発表は、シェイクスピアの『尺には尺を』におけるヴィンセンシオウ公爵の行動の基本的なパタンとして見られる代理の介在と窃視症的な認識様式を検証して、そこから、この芝居の戯曲が書かれた時期にシェイクスピアが直面していたドラマトゥルギー上の課題と、それが内包している人間学的な意義を考察しようとする試みである。

 公爵は、上記のようなやり方で、ウィーンの町の風紀の乱れをただし、アンジェロに自分の道徳的な不備を認識させることにそれなりに成功する。しかし、そういったやり方は結局、彼に自身の行動に対する責任を回避させ、彼がアンジェロに求めるような認識を自身については免れさせるように作用しているように思われる。

 そういうヴィンセンシオウに対してルーシオウのようなとりわけ不埒な道化を当てて彼を当惑させることに、シェイクスピアはどういう意味を込めたのか、そういった問題に焦点を当てて考えていきたい。

 

 

 

ジョン王をめぐる二つの劇・反乱のテーマを考える

プール学院大学助教授 李 春美

 作者不詳の『ジョン王の乱世』が、ジョン王を英雄視した同時代の愛国的プロテスタント主義が色濃いプロパガンダ劇であるのに対し、シェイクスピアの『ジョン王』は、スペイン無敵艦隊の脅威とそれにともなう愛国主義的風潮の歴史的コンテクストにありながら、こうしたプロパガンダ的要素をそぎ落としてしまったがために、「ひどく均整を欠いた劇」として批判されることになってしまった。たとえばE.M.W.ティリヤードは『ジョン王』の構造上の欠陥の証拠として、『ジョン王の乱世』の第二部に相当する『ジョン王』の四幕と五幕において、最初の三幕で繰り広げられた「政治的アクションの広がりと集中性が失われている」と述べた。一方で、最後の二幕では、反乱のテーマが目立つことによって、ある種の一貫性が与えられていると肯定的な評価を下している。本発表では、反乱というテーマからジョン王をめぐる二つの劇への考察を試みる。

 

 

祈りのドラマツルギー―『リチャード三世』における宗教と政治

九州大学教授 村井和彦

 本発表では、『リチャード三世』において、宗教と政治の関わりがいかに演劇として表現されているかを考えたい。シェイクスピアはこの作品で祈祷書を小道具として用いた。それが可能となった歴史的背景を検討した後に、祈祷書の言語的構造そのものが、作品のドラマツルギーの道具として利用されていることを論じる。「主の祈り」に見られるような、文法的法の転換、繰り返しのレトリック、直喩による論理の補強といった特徴は、作品の文体的特徴でもある。また、祈るという行為は呼びかける相手が眼前に存在せず、祈りを実際に聞くのは教会に集まった信者であるという隠れた構造も持っている。これらが作品の悲劇的アイロニーを観客に印象づける装置として、幾重にも仕掛けられている様を論じたい。そのことによって、作品が単なるチューダー神話形成のために書かれたものではないことが論証できればと思う。

 

 

The Tragedy of Hoffman とエリザベス朝末期の王位継承問題

早稲田大学大学院博士後期課程 本多まりえ

 本発表ではHenry Chettle (c.1560-c.1607) 作のThe Tragedy of Hoffman (1602)における「王位継承」という問題を、エリザベス朝末期の社会状況と絡めて考察し、これまで軽視されてきたこの作品の隠された重要性を明らかにしたい。この考察は、おそらく劇作品と時代背景との関係を探る際の端緒となるであろう。Hoffmanの半ばで、外国人王子による王位継承を巡り、内乱が生じるが、王位継承の正統を巡る問題は、当時の社会にも存在した。スコットランド王ジェイムズ六世が次期国王として有力視されていたが、外国人であったこと、母メアリーが反逆罪でエリザベスに処刑されたことなどの問題があった。実際、民衆によるジェイムズ批判は裁判記録や幾つかの劇作品に表れており、こうした背景を考慮すると、Hoffmanを観た観客の多くが、現実に議論されていた王位継承という大問題を想起したはずである。

 

 

Perkin Warbeckにおける詩の真実

岩手県立大学盛岡短期大学部助教授 石橋敬太郎

 Perkin Warbeckをめぐる問題の一つとして、威厳に満ちた言葉の輝きがヘンリー七世の王位を脅かすまでに膨れ上がる詐称者パーキンをどのように解釈するかが挙げられる。この問題を考える上で、フランシス・ベーコンのAdvancement of Learning, Book IIの詩論に着目したい。この詩論を背景とするなら、パーキンは詩人として登場しており、彼の想像世界を破壊しようとするヘンリーの試みは、詩に対する演劇上の挑戦として位置づけられる。最終的にヘンリーがパーキンの死に名誉を与えたことは、リアリティ優先の国王の感覚的な世界に対する、詐称者の妻に対する愛と忠誠に裏打ちされた詩的想像世界の勝利を意味する。発表では、劇作家が詩的威厳に乏しいステュアート朝初期に創作された英国史劇のリバイバルを意識して、ベーコンの詩論を映し出したパーキンを創造することにより、このジャンルにおける詩的想像力の重要性を主張していたことを明らかにする。

 

 

ある未亡人の変容―王政復古期のWebster改作劇とエロティックな描写

お茶の水女子大学大学院博士後期課程 撫原華子

 女性俳優がイギリスの商業演劇の舞台に初めて登場したのは王政復古期だが、その時期の悲劇上演にその存在が与えた影響についての研究は多くはない。Elizabeth Howeは、その著書The First English Actresses(1992)のなかで、この問いが長年議論の対象から外れてきたことを指摘している。Howe自身が主に論じているのは王政復古後に書かれた(あるいは改作された)劇に関してだが、本発表ではそれ以前に書かれ、王政復古後の劇場でも引き続き上演された、James Shirley作The Cardinalにおけるエロティックな描写について論じる。1641年に上演許可が下り、王政復古以降も劇団のレパートリーのひとつであったThe Cardinalにおいて、その中心人物のひとりである公爵夫人は処女の未亡人として描かれている。本発表は、公爵夫人のセクシュアリティを王政復古期における女性俳優の登場と結びつけて論じる試みである。

 

 

〈不在〉を読む―The Island Princessにおける東インド表象

専修大学教授 末廣 幹

 初期近代イングランドの演劇に見られる地理的想像力に関する研究はすでに豊かな成果を残しているが、同時に、『テンペスト』のポストコロニアル的読解に見られる〈大西洋〉パラダイムの過度の前景化は弊害も生み出している。その結果、イングランドの植民地主義の展開にとってもうひとつの重要な拠点であった東インドが後景化されているのだ。

 本発表では、〈東インド〉の香料諸島を舞台としたJohn FletcherのThe Island Princess(1621年)を取り上げ、1610年代から20年代初頭にかけての〈東インド〉の政治的状況のみならず、また同時期のイングランドの外交政策の問題に注目しながら、テクスト中の〈不在〉を読む新たな可能性を模索してみたい。テクスト中には、ポルトガル人と現地人との対立しか表象されていないのだが、そこに、当時深刻化していたイングランド人とオランダ人との抗争のイメージを読み込むことは妥当と言えるかどうかを具体的に検証したい。

 

 

『ローマの俳優』における範例的寓意表現―劇中劇の破綻は何を表象するか

東京大学大学院博士課程 内丸公平

 ドミティアン・シーザー専制治世下のローマを舞台とするフィリップ・マッシンジャーの戯曲『ローマの俳優』 (1626年)の最大の特徴は、「強欲の治療」、「イピスとアナクサレテー」、「偽りの召使」という三本もの劇中劇が演じられることにある。

 しかしさらにこれらの劇中劇の存在を際立たせているものは、例えば、フィラーガスという強欲の塊のような人物を正すべく、彼の前で演じられる「強欲の治療」がその目的を果たせずに失敗してしまうように、各々の劇がグロテスクな結果に終わってしまうという異形の光景が繰り広げられることである。これはマッシンジャーの反劇場主義的信条として読まれることが多かったが、果たして単純にそう言い切れるのだろうか。

 そこで本発表では、この問題を劇中劇において用いられる範例的寓意表現に着目し、それを分析することで劇中劇の破綻は一体何を表象し、劇全体の中でどのように位置付けられるものなのか考察し直したい。

 

 

英国国教会Homiliesと『テンペスト』

帝京大学助教授 郷 健治

  The importance of the Books of Homilies in Shakespeare's England can scarcely be overstated. Their relevance to The Tempest, however, has not yet been discussed by critics. This paper first briefly looks into the bibliographical and textual complexities of the Books of Homilies; and reports the nature and extent of the textual corruptions and revisions silently introduced into the 1582 and 1623 editions; then, it examines a number of noteworthy verbal, contextual, and thematic links between The Tempest and 'An Homily against Excess of Apparel' in The Second Tome of Homilies (1563 etc.); and suggests that this Homily, together with the immediately preceding 'An Homily against Gluttony and Drunkenness' in Book II of the Homilies, may be regarded as a hitherto-unrecognized source and sub-text of Act IV of The Tempest; and explores how this may affect our understanding of the play in general and our postcolonial criticism of it in particular. (発表は日本語で行います)

 

 

女王をもてなす―宮廷劇としての『恋の骨折り損』

埼玉工業大学専任講師 米谷郁子

 Love's Labour's Lost (LLL)のQ1(1598)の表紙には、 "As it was presented before her Highnes this last Christmas"とある。この文言の信憑性には留保がつくことを念頭に置きつつも、LLLを宮廷劇の一つとして改めて捉えたい。本発表では、LLL を同時代の他の宮廷劇やroyal entertainmentsと比較する。特に 1580-90年代、観客としてのエリザベス1世という特権的女性為政者をもてなすために書かれた、Lylyの諸作品をはじめとする芝居に注目する。いたぶられることに愉悦を見出し、拒絶される自分を笑うためにこそ求愛するchivalric loveのパロディ的劇化。自虐を笑う男性貴族側の論理と、モラルを盾にして自立と優越を誇る高貴な女性たちの両方に微笑を投げる喜劇の数々。LLLは、例えばD. Bevingtonの論じるようなミソジニーの発露というよりも、高貴な女性をもてなす政治的手段として、これらの喜劇に連なる芝居なのではなかろうか。

 

 

"What see'st thou in the ground?"

          ―裸体と風景、あるいはエピリアの読者について

お茶の水女子大学助教授 清水徹郎

 1590年代に流行した官能的小叙事詩(epyllion)は、限られたインテリ層男性サークルを主な読者層とし、しばしば正統的モラルから逸脱する倒錯的性愛を、修辞的技巧を駆使して歌う。詩人の技量を誇示するのも共通した特徴である。訳知り顔の詩人の語り口が、覗き見する読者の存在を思わせ、総じて女性蔑視的構造を持つジャンルだ。だがエピリア流行を決定的にしたHero and LeanderVenus and Adonisは、「読者」を考える上でとりわけ問題が大きい。本発表では主に後者を取り上げ、ジャンルの一般的要請から想定される「読者」と、同作品への同時代の言及に現れる「読者」(をめぐるファンタジー)との間の矛盾を考察する。対アルマダ戦勝後の数年間に一部で強まったとされる女性上位嫌悪の風潮の影が否定しきれない中で、シェイクスピアのVenusの裸体とその風景は、早くも別種の新しい感性を捉え、地上的愛の不合理を直視する特異な女王讃歌として機能した。

 

 

セミナー指針

 

セミナー1 

殉教史とエリザベス朝演劇 

コーディネーター: フェリス女学院大学教授 井出 新

 近代初期イギリスにおける演劇と宗教の関係性を考える際、殉教史(Martyrology)という視点は極めて有用である。近年、ジョン・フォックスの『殉教者列伝』をはじめとして、殉教者たちについて語られた歴史叙述を様々なコンテクストから捉え直し、そこからイギリス宗教改革後の文化全体を再考するという試みが盛んに行われている。このセミナーの主旨は、殉教者に纏わる歴史叙述を、演劇文化というコンテクストから捉えることにより、殉教史は演劇に何をもたらしたのか、また逆に、演劇は殉教史に何をもたらしたのかという問題について考察することであり、さらにはそこから近代初期イギリスにおける演劇と宗教とのかかわりを考察することにある。具体的には1570年から1620年までの50年間を射程に収め、セミナー・メンバーがそれぞれ、特定の時期の演劇作品について個別に論じつつも、「言説による国家形成」、「劇作家と人脈ネットワーク」、「殉教者の身体」、「スペクタクルとしての殉教」 といったテーマについて横断的に言及することで、議論を活性化させ、演劇と宗教の関係性や演劇文化における殉教史の意味を立体的に明らかにすることを目指したい。

 

 

セミナー2 

書誌学・本文研究の現在

コーディネーター: 慶應義塾大学教授 英 知明

 劇作家が書いた「原稿」が上演を経たのち、印刷されて「書物」へと姿を変えていく過程を精緻に追究するこの領域の、現在までの動向と未決の課題の所在を探ります。メンバーはそれぞれ独自に行ったリサーチに基づき、オリジナルな最新の成果を発表します。

 本セミナーでは、First Folio をはじめ、15-16世紀刊本に残された「set-off (裏写り) 」と呼ばれる現象を捉え、それらが印刷工房で実際の印刷形態の一側面を表している点に着目します。それは、この現象が印刷工程の解明に繋がる可能性を示唆すると思われるからです。また The Famous Victories of Henry V  Q1 (1598) と Q2 (1617) を分析書誌学の見地から考察し、それぞれの印刷工程や当時のロンドンの出版事情などからどのようなことが判明するかを探りたいと思います。さらにMiddletonによる Hengist (c.1619) の現存する二つの手稿とQuarto版 (1661) から、劇団内部において劇作テクストがどのように変遷していったかその過程を考察します。また、F3コピーに残された書き込みの調査報告を中心に、読者像や版本流通実態などのサンプルとしてこのF3が何を語るか、読者によるシェイクスピア受容について考えたいと思います。

  尚、発表にはパワーポイントを使用し、フロアの方々に画像をご覧頂きながら視覚的でわかりやすい発表を心がけるつもりです。多くの方のご質問、ご意見をお待ちしております。    

 

 

セミナー3 

『テンペスト』を読む

コーディネーター: 九州大学助教授 大島久雄

 『テンペスト』は、万華鏡のように多様な解釈を生み出す作品として知られている。どのような視点に立ち、どのようなサブテキストを背景に論じるかによって解釈が変化することは、文学作品全般に関して言えることであろうが、特に『テンペスト』は、関連する歴史的・社会的・文化的サブテキストと結びつけて読むとき、刺激的な解釈を生み出してきた。さらにこの劇は多様なジャンルと接点を持ち、ロマンス劇・旅文学・ユートピア文学などのジャンルの観点から考察することも興味深い。そこで視点と文脈とジャンルを重視したメール・ディスカッションを四月より行い、新歴史主義やポストコロニアリズムによる解釈がある程度出尽くした今、どのような読みがこの作品に可能であるのかを検討しつつ、メンバー間で論文とそれに対するコメントの交換を行ってきた。セミナー当日は、このような議論の成果を反映した仕上げの各論をメンバーに発表して頂き、「植民地経営と内政問題」、「スペクタクルと政治性」、「記憶と語り」、「破壊とモンスター」、「プロスペローと複合的イメージ」、「テキストとインターテキスチュアリティ」に関して集中的に意見交換を行い、オーディエンスの方々のご質問・ご意見なども頂戴しながら『テンペスト』作品解釈のこれからに関する有意義な議論の場としたい。

 

 

会場案内

 

日本女子大学 目白キャンパス

 

・JR山手線目白駅下車 徒歩15分

・JR山手線目白駅前より 新宿駅西口・椿山荘行き都バス(白61)
   または日本女子大学行きスクールバスにて「日本女子大前」下車

・東京メトロ有楽町線護国寺駅下車徒歩約10分

*くわしくはこちらをご覧ください。

 

 

      109日(日)                1010日(月・祝日

   開会式   成瀬記念講堂            パネル・ディスカッション 成瀬記念講堂

   臨時総会

   フォーラム

 

  ∞∞∞∞∞ 研究発表 ∞∞∞∞∞      ∞∞∞∞∞ セミナー ∞∞∞∞∞∞

  第1室   百年館低層棟301講義室       セミナー1  百年館低層棟206講義室

  第2室   百年館低層棟302講義室       セミナー2  百年館低層棟301講義室    

  第3室   百年館低層棟206講義室        セミナー3  百年館低層棟207講義室

  4   百年館低層棟207講義室

  ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞       ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

  懇親会 桜楓2号館 4階多目的ホール

 

          会員控え室・休憩所 百年館低層棟204講義室

          書店展示場 百年館低層棟201・202講義室

          大会本部 百年館低層棟209講義室

 

 

*緊急連絡先  

  日本シェイクスピア協会事務局 03-3292-1050

 

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