シェイクスピア学会

40回シェイクスピア学会

プ ロ グ ラ ム

資 料

20011013日(土)/14日(日)

会場:九州大学六本松地区(旧教養部)

(〒810-8560 福岡市中央区六本松4-2-1

主催:日本シェイクスピア協会

案内

* 会場への行き方は、巻末の「交通案内図」をご参照ください。

* 九州大学のキャンパスは、福岡市内に複数あります。会場は「六本松地区(旧教養部)」です。お間違えのないようご注意ください。

* 受付は新1号館ロビーで開会の30分前から始めます。本年度会費未納の会員と新入会員の方は8,000円(学生会員は5,000円)をお支払いください。

* 講演は一般公開です。研究発表、セミナーへの参加は会員に限られますが、会員の紹介があれば一般の方も出席できます。

* 懇親会へのご出席および14日昼のお弁当(\500)をご希望の方は、プログラム巻末添付の[料金受取人払いハガキ]で9月30日までにお申し込みください。なお、懇親会会費は、10月13日当日あらかじめ学会会場受付で申し受けます。懇親会へはご家族、ご友人のご同伴を歓迎します。

* 今年度のシェイクスピア学会は、宿泊関係の斡旋はありません。

* 研究発表およびセミナーに参加される方へ

ハンドアウト等の資料は、あらかじめ充分な枚数をご用意ください。不足分が出ても会場校では複写することはできません。また、資料を前もって会場校へ送ることは、混乱を生じる場合がありますのでご遠慮ください。

日本シェイクスピア協会のホームページ

http://wwwsoc.nii.ac.jp/sh/

でも学会についての情報がご覧になれます。

日本シェイクスピア協会

101-0062東京都千代田区神田駿河台2-9研究社ビル501

Phone/Fax 03-3292-1050振替口座00140-8-33142




プ ロ グ ラ ム

10月13日(土)

13:00[新一号館N110教室]

開会の辞 日本シェイクスピア協会会長 金子雄司

挨拶 九州大学言語文化研究院長 岩佐昌ワ

臨時総会

フォーラム

14:00-17:00 研究発表

 

1室[新1号館N122教室]

司会:神戸松蔭女子学院大学教授 田中雅男

1.Periclesにおける語り手/狂言回しとしてのガワー

福岡女子大学大学院博士後期課程 杉浦裕子

2.『ペリクリーズ』における権力の正当化

大阪大学大学院博士後期課程 三浦誉史加

司会:金沢大学教授 三盃隆一

3.「結婚」の幸福という幻想―『冬物語』における母性のセクシュアリティ

那須大学助教授 石塚倫子

4.『冬物語』におけるディスガイズ――「自己」表象の第三のモード

中京大学教授 細川 眞

21号館N131教室

司会:東京都立大学助教授 末廣幹

1.Titus Andronicusにおける強姦されたLaviniaの表象

視覚的快楽/悲劇――/女の眼差し

東京大学大学院博士課程 佐藤みか

2.『タイタス・アンドロニカス』――森・都市・人

福岡女学院短期大学専任講師 道行千枝

司会:中央大学教授 百瀬泉

3.二つのホリンシェッドの『年代記』とシェイクスピアの第二・四部作

九州大学大学院教授 徳見道夫

4.連続と非連続Shakespeareの歴史劇に潜むMortimerの影

西南学院大学教授 八木 幹

3号館N132教室 司会:大妻女子大学教授 小林昌夫

1.言語観の齟齬が生むリアの悲劇

  九州大学大学院博士後期課程 杉本美穂

2.Warring Factions: Recent Analysis of Shakespeare's History Plays

九州大学外国人教師 David Taylor

司会:大妻女子大学教 授栗原裕

3.シェイクスピアと「語り」――補遺

上智大学教授 安西徹雄

新一号館N133教室

司会:岩手大学助教授 境野直樹

1.The Changelingの中のchangelingchange――ダブル・プロット再考

弘前大学助教授 田中一隆

2.ジョン・バンクロフトの英国悲劇

鹿児島大学助教授 大和高行

司会:フェリス女学院大学助教授 井手新

3.『タンバレン王』における階級意識――「羊飼い」という記号の意味

九州芸術工科大学助教授 大島久雄

4.中世演劇研究の諸問題:私たちはどんなテクストを必要とするのか

大阪大学教授 広瀬雅弘

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♪  18:0020:00懇親会                 ♪

♪   会場:ホテル日航福岡(電話092-482-1111)     

♪   福岡市博多区博多駅前2-18-25           ♪

♪   会費:6500

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10月14日(日)

10:00-11:30特別講演[新1号館N110教室]

司会:筑波大学教授 浜名恵美

Shakespeare and the Geographies of the Early Modern World

Jean E. Howard  Professor of English at Columbia University

   In this lecture I use the Scottish setting of Macbeth to ask why the tragedies of Shakespeare and his contemporaries predominantly take place in Europe or in settings peripheral to England itself.  In a striking instance of historical difference, I suggest some of the reasons why--to Early Modern Londoners, if not to us--Scotland was seen as a foreign country despite the presence of a Scottish king on the English throne.  I explore how the idea of Scottish difference was useful to Shakespeare in his creation of a political tragedy about the declension of a noble thane into a bloody tyrant.  The larger focus of this essay, however, is on the way in which Macbeth enables us to think about the links between Renaissance tragedy, particular uses of geography, and the class investments of specific stage genres.  I also discuss the problems of distinguishing theatrical genres on a popular stage where hybridity and the "mingle-mangle" of forms was common. 

 


 

11:30〜13:00昼休み

新1号館ロビーにてお弁当をお受け取りください。

一般会員控え室はN120教室(新1号館2階)です。

13:00〜16:00セミナー&パネル・ディスカッション

パネル・ディスカッション [新1号館N130教室]

総括と展望――シェイクスピア研究、この100年

司会:柴田稔彦(福岡大学教授)

パネリスト:小澤博(関西学院大学教授)金子雄司(中央大学教授)

斎藤衞(武庫川女子大学教授)柴田稔彦(福岡大学教授)

セミナー1 [新1号館122教室]

The Comedy of Errorsを読む/観る

コーディネーター:河合祥一郎(東京大学助教授)

メンバー:石原万里(福島工業高等専門学校助教授)岩田道子(東京学芸大学非常勤講師)太田耕人(京都教育大学助教授)武岡由樹子(桐朋学園大学非常勤講師)野田学(明治大学助教授)実村文(明治大学専任講師)

セミナー2 [新1号館N132教室]

Stuart朝の歴史劇

コーディネーター:佐野隆弥(筑波大学専任講師)

メンバー:石橋敬太郎(岩手県立大学専任講師)太田一昭(九州大学教授)小町谷尚子(慶應義塾大学専任講師)

セミナー3 [新1号館N133教室]

英国ルネサンス演劇における女の表象――娼婦、魔女、母、寡婦

コーディネーター:朱雀成子(佐賀大学教授)

メンバー:小野俊太郎(成蹊大学非常勤講師)佐々木和貴(秋田大学助教授)谷川二郎(熊本大学教授)ダベンポート・アンジェラキクエ(東京大学大学院博士課程)吉原ゆかり(筑波大学専任講師)

コメンテーター:青山誠子(青山学院大学非常勤講師)




【資料】

研究発表要旨

Periclesにおける語り手/狂言回しとしてのガワー

福岡女子大学大学院博士後期課程 杉浦裕子

一般に劇を「語り手を持たない物語」と定義するならば、ガワーという語り手を持つPericlesは特異な劇と言える。ガワーはシェイクスピアのPericlesの種本と言われるConfessio Amantis Book VIIIを書いた中世に実在した詩人で、Periclesはガワーの物語として提示される。コーラスとしてのガワーは、彼の物語を舞台上に転化し道徳的解釈を加えるという、語り手・狂言回し・コメンテーターとしての役割を担っている。しかしいくらガワーが、観客が舞台上に見るものは彼の物語に過ぎないと強調しても、物語が舞台上で演じられ観客がそれを直に目で見る以上、ある程度ガワーの手を離れるものである。故にガワーは観客がコーラスとしての彼から聞く語りと、観客が自分の目で実際に見る出来事のずれを顕わにするという逆説的な役割を持つ。更にこの「見る」と「聞く」の間の緊張はガワーに留まらず劇を通じて遍在している。本発表では、上記のガワーの役割を、劇中の語りの性質と関連させながら考察したい。

 

『ペリクリーズ』における権力の正当化

大阪大学大学院生 三浦誉史加

一見無害なロマンス劇に見える『ペリクリーズ』には、ある政治的メッセージが隠されている。物語をコントロールする語り手と言えるガワーは、ペリクリーズの自己保身を全く非難せず、彼を褒めたたえ、ペリクリーズの権力の正当化を積極的に補強する。しかしこれと並行して、同劇はこの補強作業の恣意性を暴露する。ペリクリーズから葛藤を解決する力を奪い、語りに力を持たせることによって、権力者の行為の絶対的な価値ゆえに政体評価が為されるのではなく、言説がその価値を捏造していく力を持つことを示しているのである。そして、ガワーの語りを疑問視し、彼の存在の虚構性を強調することで、価値を捏造する言説の危うさを示していることを、種々のsource bookとの比較や、それらが成立した状況を分析しつつ示して行きたい。

 

「結婚」の幸福という幻想

――『冬物語』における母性のセクシュアリティ

那須大学助教授 石塚倫子

シェイクスピア劇における結婚後の男女は、必ずしも幸福そのものとは言い難い。むしろ、憎しみや孤独、殺意や嫉妬、危険や別れなどの苦難が呈示され、結婚の幸福は幻想に過ぎないとすら思わざるを得ない。なぜシェイクスピアは結婚生活をかくも苦しみに満ちたものにするのだろう。

これはシェイクスピア劇だけの問題として見るより、劇の背景として、結婚が男女の愛情からだけでは成り立たない政治性をもっていること、特に、初期近代の家父長制において女性がどのような位置にあったか、また結婚や家族の理想というイデオロギーがどのように形作られつつあったかを考える必要があろう。ここでは後期のロマンス劇『冬物語』を取り上げ、結婚と家族における、セクシュアル・イデオロギーについて考えてみたい。その際、母性が男性主体とどう関わるかを眺めてみたい。

 

『冬物語』におけるディスガイズ

――「自己」表象の第三のモード

中京大学教授 細川眞

Aという人物がBのアイデンティティ、あるいは役割をとる時、そのディスガイズが表象する「自己」には、三つの様態が考えられる。AとBが統一した「自己」。AもBも構築されたものであるという「自己」。Aは本質であるが、Bは虚像(仮面)という「自己」。シェイクスピア晩年の『冬物語』には、アイデンティティが透けて見えるパーディタのディスガイズ、オートリカスのマルティ・ディスガイズ、羊飼いは単なる仮面でしかないフロリゼルのディスガイズ、更にはジューリオ・ロマーノの像はハーマイオニ自身であったsurprise(観客騙し)等多様なディスガイズがあるが、これらはすべて、第三の「自己」を表象しようとしているように思われる。シェイクスピアのディスガイズの変遷を、ドリモアが『過激な悲劇』(1984)で指摘した16世紀から178世紀にかけての認識論の三段階の推移と重ね合わせ、『冬物語』におけるディスガイズによる「自己」表象を考えてみる。

 

Titus Andronicusにおける強姦されたLaviniaの表象

視覚的快楽/悲劇――/女の眼差し

東京大学大学院博士課程 佐藤みか

1955年のP. Brook演出に始まるTitus Andronicus20世紀後半の上演史を俯瞰しながら、演出家の性差によって強姦されたLaviniaの表象が視覚的快楽/悲劇と二極化される傾向を検証する。

強姦は人間性を否定する行為でありながら、男性優位の視点によって定義が左右される社会的産物でもある。事実ラテン語の語源raptusは窃盗を意味し、シェイクスピア時代においては女を父や夫から盗む犯罪を指していた。男性の所有物としての女性の位置付けは論議を呼び演劇でも取り上げられたが、少年俳優という文化装置によって女性が己のイメージを表現する術も阻まれていた。

男性を眼差しの主体、女性を表象されるだけの受動的な対象物とするこの風潮は、根本的な父権構造に変化が見られない現代においても未だ健在である。女性の悲劇が男性の視覚的快楽と成り得る傾向を、演出家の眼差し、脚本、実際の舞台から再考する。

『タイタス・アンドロニカス』――森・都市・人

福岡女学院短期大学専任講師 道行千枝

人間がつかの間だけ市井を離れて森に入り、そしてまた人間社会へと戻っていく――このような行動パターンはシェイクスピア劇の中にしばしば見られる。本発表では森が舞台として扱われる劇作品としては二番目となる『タイタス・アンドロニカス』を取り上げ、劇中における森の働きを見ていく。

『タイタス』の森を、その多面性、性格(原生林/猟園)、森による都市の浸食、動植物の比喩という四つの要素を検討しながら考察する。劇の結びでローマ人が見せる冷酷な制裁はしばしばこの劇を傑作と評するには障害とされてきた部分の一つだが、最後にこの問題を取り上げる。惨事の後に新しい秩序は確立されるのか、社会から森の暗い影が消え、ローマは"wilderness"ではなくなるのか。最終幕をどう読むかにより、発表の主題である劇中の森の役割が見えてくる。

 

二つのホリンシェッドの『年代記』とシェイクスピアの第二・四部作

九州大学大学院教授 徳見道夫

シェイクスピアの第二・第四部作における『リチャード二世』と『ヘンリー四世』との大きな違いは何故生じたのであろうか。そもそもこのような問いかけ自体が無駄なものかもしれない。何故なら、シェイクスピアは『リチャード二世』から『ヘンリー五世』までを四部作として意識せず劇を作り、歴史的に連続したイングランドの王を偶然に描いただけかもしれないからである。だが、シェイクスピアがフォルスタッフを『ヘンリー五世』の中でも登場させると『ヘンリー四世』のエピローグで語っているという事実は、たとえ漠然とした形でも彼は四部作にある程度の繋がりを持たせたいと思っているのではないかと推測させる。その連続性が質的には『リチャード二世』と『ヘンリー四世』との間で遮断されているが、その原因の一つには『年代記』の影響が存在するということを証明することが本発表の趣旨である。



連続と非連続Shakespeareの歴史劇に潜むMortimerの影

西南学院大学教授 八木幹

Richard IIの退位1399は、72年前のEdward IIの退位の状況と一見類似した構造をもつ。同時に王権をめぐる継承の正統性の主張に重大な相違を見せつける。Isabella王妃とMortimer(1st Earl of March)coup d'etatによって自らを英国王の座につけることはなく、Edward IIIの登場が王朝の継続の正統性を実現する。

Henry IVの登場で、Shakespeareのテキストは政治力学が優先した事実上の新王朝の成立を示唆し、正統性の問題が劇世界から消失する。

1415年、曾祖父Edward IIIの主張を踏襲し、Henry Vは対フランスとの百年戦争を再開する。Salic法をめぐっての衒学的な法理論は、女系による王位継承の認知を拒否するフランスの立場と絶望的な対立・紛糾の構図を示す。この間にSouthamptonで3名の貴族の陰謀が発覚する。遠景としての百年戦争の背後に、近景としてのMortimer(5th Earl of March)の影が、Lancaster王朝の正統性に挑戦する女系に基づく直系上位の直撃を忍ばさせてくる。

 

言語観の齟齬が生むリアの悲劇

九州大学大学院博士後期課程 杉本美穂

王国を分割し自分に対する愛情表現を娘達に競わせるリアは、その動機や理由をほとんど説明しない。では、リアの言動は、リーガンが言う耄碌が原因の愚行なのか。或いは、幕開けは、お伽話のように解すべきなのか。

本発表では、明白な動機や心理的な裏づけの欠落が、リアの王としての主体を形成している言語観と密接に関連することをまず指摘する。この言語観は、三人の娘達やケントの語る言葉の真意をリアが理解していない要因である。次に、悲劇を招く契機となるリアや娘達の言葉をJohn Lockeの言語論に見られる「言葉の誤用」を参照して再解釈する。この作業を通して、シェイクスピア作品に繰り返し見られる「外観と実体との乖離」という主題を「言葉とそれが指す観念との乖離」をめぐる言語観の齟齬という側面から考察することを目的とする。

 

Warring Factions: Recent Analysis of Shakespeare's History Plays

九州大学外国人教師 David Taylor

Many of the more dynamic recent engagements with Shakespeare have focused on the history plays, particularly the later tetralogy (Richard II, Henry IV 1 and 2, and Henry V), and have aimed to divert reading from critical conventions regarding dramatic character.This paper will summarise the results of several theoretical applications to the history cycles before turning to Nick de Somogyi's Shakespeare's Theatre of War (1998), an intriguing and exhaustively researched study of the 'influence' of England's warrior culture from 1585 to 1604 upon Shakespeare's drama.De Somogyi succeeds in demonstrating the intimate historical relation between military and theatrical practice as exemplified in the contemporary coincidences of actors playing numerous wounded characters inspired by the maimed bodies of war veterans, playhouse army recruitment, and armouries doubling as props departments for nearby theatres.This account's empirical technique, broadly encouraged by 'old' and New Historicist approaches, offers the most detailed commentary on contemporary military documentation with clear analogues in Shakespeare to date.The fruits of this important contribution will be specified but also contested in a paper which aims to identify the possible limitations of this and other developments in the analysis of the history plays, and readdress the advantages of hearing Shakespeare's voices as poetic dramatic characters rather than as history.

 


シェイクスピアと「語り」――補遺

上智大学教授 安西徹雄

一昨年の岩手大学での学会で扱ったこの問題について、その後、特に理論的な枠組を補充する上で、多少の新しい展開があったことを報告しておきたい。

第一は、ガダマーの解釈学やダントの物語論を踏まえて、野家啓一氏が歴史記述における「語り」の意味を論じた『物語の哲学』、第二に、イタリアの思想家アドリアーナ・カヴァレロが、ハンナ・アーレントに拠りながら、哲学の知とは対照的な「物語の知」と、それが自己認識にもたらす意味を論じたRelating Narratives,さらに、これと非常に近い論旨を展開しているポール・リクールの『他者としての自己』(特にその「物語的自己同一性」の概念)などから得た示唆を述べ、最後に、こうした観点を援用しながら、前回は触れなかった『マクベス』の「語り」の特異性を、やや具体的に分析を試みたい。

 


The Changeling
の中のchangelingchange

――ダブル・プロット再考

弘前大学助教授 田中一隆

本発表の目的はおおよそ三つある。一つは、イギリス・ルネサンス演劇におけるマルティプル・プロット構造の演劇的意匠としての妥当性を検証する実証的研究の一環として、Thomas MiddletonWilliam RowleyThe Changelingを取り上げ、この作品のダブル・プロット構造について詳細な検討を加えること、二つ目は、この作品のダブル・プロット構造を吟味する過程で、当時の観客がどのような受容意識で演劇を見ていたのか、その手掛かりの一端を解明すること。そして三つ目は、当時の観客の独特な受容意識を当時の世界観というさらに大きな枠組みのなかに位置づけること、この三つである。

 


ジョン・バンクロフトの英国悲劇

鹿児島大学助教授 大和高行

王位継承排除危機期(167883)から名誉革命(1688)にかけて、愛憎うずまく人間関係が悲劇をもたらす、いわゆる情動の悲劇が盛んに上演される。この時期の劇作家は、「悲劇」というジャンルを用いて背信、不信、叛乱が起きる様子を好んで描き、活発に政治的な劇作を競い合った。1690年代に入ると、John BancroftKing Edward the Third1691)、Henry the Second1693)と題される二つの劇を書く。歴史書の記述に沿って忠実に書かれたこれらの英国悲劇は、1683年以降、次々に歴史に集材した筋立てで、アン・ブリン、スコットランド女王メアリー、ジェイン・グレイ等の女性登場人物の悲劇に焦点を当てながら哀感を誘い、悲劇を世に送り出したJohn Banksの影響を受けている。それでは、英国を舞台とする悲劇はどのように変わっていったのであろうか。その様子を、歴史の犠牲者となる女性登場人物の役どころ、策略や叛乱、カトリックおよびカトリック教国フランスとの関係、歴史モードなどの特徴に着目することによって考えてみたい。

 


『タンバレン大王』における階級意識

――「羊飼い」という記号の意味

九州芸術工科大学助教授 大島久雄

マーロウの悲劇において階級対立はしばしば悲劇の展開に重要な役割を果たしている。今回の発表では、『タンバレン大王』を取り上げて、階級意識と階級対立の諸相を検討しながら、タンバレンにつきまとう「羊飼い」という記号の多様な意味について考えてみたい。階級対立に関しては、マキアヴェリの政治思想の影響が見られるが、必ずしもタンバレンは理路整然とした理想的君主として描かれているわけではない。ワット・タイラーのような民衆的英雄像から浮浪者や暴君という社会的脅威まで、タンバレンが表わすものは多様であり、劇の進行とともに階級意識にも変化が見られる。エリザベス朝における「羊飼い」という記号をめぐるテキスチュアル・コミュニティの存在にも目を向けたい。

 


中世演劇研究の諸問題:

私たちはどんなテクストを必要とするのか

大阪大学教授 広瀬雅弘

中世英国演劇研究が、1980年代から目覚しい活況を呈し始めた。それは、それ以前における中世演劇研究とは一線を画す成果をあげつつあると言ってよいと思われる。私はこれらの成果に影響を受け、中世演劇とくにサイクル劇(ミステリー劇)を読むことを始めたが、その過程で中世劇テクストには大きな問題があることが判明した。中世劇を読むためには、EETSなどのマニュスクリプトに忠実な旧綴り版を読むことが必要であるが、一般読者には極めて困難である。綴りが不安定であるために英語辞典を引くことすら困難である。その結果、いわゆるmodernized spellingのテクストを利用する場合があるが、これらのテクストは内容が不正確であるなど批判は多い。こうした事態に対し、アメリカでは適切な中世劇テクストが必要であると主張されているが、それがいかにして可能になるのか、私自身の試みを含めて検討したい。

 

 


パネル・ディスカッション&
セミナー指針


パネル・ディスカッション

総括と展望――シェイクスピア研究、この100

司会:福岡大学教授 柴田稔彦

過去100年のシェイクスピア研究批評の跡を振り返ってみると、2回大きな転換の時期があったように思う。1930年と1980年の前後である。1回目の方はもう過去のものとなってしまったような感じがあるが、2回目の方はいまだに尾を引いている。

2回の転換期で何が起こったかを簡潔に述べることは難しいが、いま、劇のことばについての捉え方に限定していうならば、1回目は作者の意図することばが一義的に確定しうるという信念が残存する一方、そのテクスト内での意味については詩的言語としての多義性がありうるとする考えが強くなったのに対して、2回目の場合はことばの意味がテクスト内で規定されるのみではなく、コンテクストによる可変性を持ちうるものとして捉えられるようになり、同時に戯曲の文言は個としての作者以外のさまざまな外的要素によって変容するものだという考えが広まることとなった。つまり世紀が老いるにしたがい、劇のことばの意味については、不確定性をより多く認める方向に進んできていると言えるのではないかと思う。そして、仮にこのような方向が認められるとするならば、それが今後どのように展開していくかということを考えてみなくてはなるまい。

歴史というものは現時点に近づくにつれて、その理解の客観性についての確信は弱くなってくるものである。このようなおおざっぱな概観についてすら、これは司会者の私見にすぎず、出席されるパネリストの方々はあらかじめ同意されているわけではないし、また、研究批評、さらには上演を通じたシェイクスピア読解の多様なあり方をこれが十分にカヴァーできていると思っているわけでもない。さらにまた、わが国におけるシェイクスピアについての研究批評がどういうものであるかということについてのローカルな問題も当然意識の片隅にある。

これらのことについて、パネリストの方々を中心にフロアーの方々にもぜひ積極的に参加していただいて、考えを交換することができればと願っている。(文責柴田)


セミナー1

The Comedy of Errorsを読む/観る

コーディネーター:東京大学助教授 河合祥一郎

「わたしはそなたで、そなたはわたし、そも、わたしとは、なんぢゃいな」と、高橋康也作・野村萬斎演出の『まちがいの狂言』(2001年4月世田谷パブリックシアター、7月ロンドン・グローブ座上演)で唄われるように、その原作である『間違いの喜劇』の笑いと不安の世界は奥深い。初春よりEメイルによって議論を開始した当セミナーでは、7月上旬の段階で、アイデンティティという一般的な問題のみならず、当時の経済事情を踏まえた経済学的議論をはじめ、「等価交換」、記号、変装、主体の非決定性、双子、ユング的影、「一心同体」という夫婦観の問題、喜劇的笑いと不安の複雑な関係など、さまざまな視点からの議論が続けられている。現段階ではまだ上演についての考察がないが、今後さらに議論を発展させ、問題意識を深めていきたい。学会当日は、できるかぎり討論・論争に時間を割き、フロアを巻き込んだ刺激的パフォーマンスができればと願っている。


セミナー2

Stuart朝の歴史劇

コーディネーター:筑波大学専任講師 佐野隆弥

このセミナーは、ステュアート朝期のイングランド史劇を通時的に洗い直すことで、従来注目されることの少なかった当該時期の歴史劇を、演劇史的観点から再検討することを狙いとしている。各メンバーの対象とアプローチは次の通りで、石橋敬太郎(Sir Thomas Wyatt, When You See Me You Know Me, If You Know Not Me You Know Nobody, The Whore of Babylon,宗教と外交政策の観点から)、小町谷尚子(King John and Matilda,イングランド内政の表象の観点から)、佐野隆弥(A Game at Chess, The Duchess of Suffolk, Perkin Warbeck,劇作家の歴史意識と対ジャンル観より)、太田一昭(ジェイムズ朝演劇史に対する異議申し立てと書き換え)。対象作品や分析方法はあえて統一を図らず、むしろそのことで多様なステュアート朝歴史劇の有り様を照射できればと考えているが、議論を補完する意見をフロアからも積極的に募りたい。

 

セミナー3

英国ルネサンス演劇における女の表象

――娼婦、魔女、母、寡婦

コーディネーター:佐賀大学教授 朱雀成子

英国ルネサンス期のジェンダー・システムのなかで生産された女性表象は、たんにその社会における女を描くのではなく、ある意図と目的意識のもとに入念に作られ、共有され消費された。演劇における女性表象は、その時代の女性表象とリンクし、相互作用したと考えられよう。現実の社会でも演劇においても、父権制のなかでの男女のあるべき姿を示すために、自己主張の強い女や性的に危険な女は「娼婦」、「魔女」のレッテルを貼られ排除された。一方、否定的な女性表象の背後には「聖母」、「女神」、「貞女」などの肯定的な女性像が存在し、コインの表裏をなしている。この両極端な女性表象を提示することで男は女を教化し、そのセクシュアリティを支配、制御したと言えよう。

セミナーでは、『終わりよければすべてよし』、『ハムレット』、『オセロー』、『マクベス』などに表れる「娼婦」、「魔女」、「母」、「寡婦」などの女性表象を解読することにより、英国ルネサンス期におけるジェンダーの権力関係を浮き彫りにできればと思う。

 

会場案内

1013日(土)

開会式新1号館N110

臨時総会・フォーラム同上

∞∞∞∞∞研究発表∞∞∞∞∞

第1室新1号館N122

第2室新1号館N131

第3室新1号館N132

第4室新1号館N133

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

懇親会ホテル日航福岡

1014日(日)

特別講演1号館N110

∞∞∞∞パネル&セミナー∞∞∞

パネル・ディスカッション

新1号館N130

セミナー1新1号館N122

セミナー2新1号館N132

セミナー3新1号館N133

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

お弁当受け渡し第1号館1階ロビー

会員控え室・休憩所新1号館N120

書店展示場新1号館N121, N123

交通案内

空路

福岡空港 →(地下鉄1号線) JR博多駅下車

JR

JR博多駅 → 西鉄バス → 六本松停留所

西鉄バス

城南・六本松経由(9, 10, 11, 15, 16, 17, 18, 19, 214番)

博多駅前正面Aのりば乗車(約30分) 六本松下車、徒歩2分

バス運賃 220円

駐車場がありませんので、公共交通機関をご利用ください。

懇親会会場

ホテル日航福岡(Tel. 092-482-1111)

福岡市博多区博多駅前2-18-25

JR・地下鉄博多駅と直結

学会会場よりの交通

西鉄バス城南経由博多駅行(9, 10, 15, 16, 17, 18, 19, 214番)

六本松乗車(約25分) 博多駅前下車 徒歩4分

バス運賃 220円



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